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コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月5日(金) 男は三度勝負する  -政治・経済 - 選挙-

i208.jpg  昨日は慣らし運転で仕事始めは実質的に恒例の新年互礼会からとなる。ところが稼働二日のみの金曜午後という悪条件に加え、総選挙から間もない正月は妄りに上京せず御礼周りに専念すべしとの御触れが効果覿面に過ぎ、閣僚級を除けば到来するのは政府役職者か関東近郊選出者に限られ、毎度受付近辺に屯しての新年御挨拶一網打尽攻撃も、立ちっ放しで例年通り足腰に痛みを覚えた割には多分に空振り気味であった。

 書籍「黙殺」は、新聞紙上に"独自の戦い"と切り捨てられる泡沫候補にスポットを当てたものである。しかしながらメディアは彼等を文字通り"黙殺"せず主要候補と同等に取り扱うのが民主主義であるとの筆者の主張には全く以て賛同出来ない。
i209.jpg  現実に五回目の挑戦でバッジを射止め、衆院選通算3勝6敗ながら異彩を放った田中秀世氏の例を挙げるまでもなく、最初は保守系無所属の「泡沫」扱いでも出馬の度に票を積み上げていった候補者は少なくない。書籍にも登場する中川暢三氏は地元の加西市長になっているし、典型的な記念受験派と見られていた故・羽柴誠三氏が夕張市長選で次点に輝いたのは記憶に新しい。
 彼等に共通しているのは、特定の選挙に的を絞っているか、そうでなくとも当選の蓋然性のある選挙戦に狙いを定めている戦術性であり、少なくとも当選しようという意志と努力の跡が伺えるのである。
 他方で多くの泡沫候補には、選挙活動をアピールの場とする意図は明快だが、その主張を以て当選に結び付けるべくステップを踏んでいるとは言い難かろう。
 それは映画「立候補」を見ればより明らかで、最早選挙運動という錦の御旗を掲げることで示威行為の大義名分を確保する手段にしか見えない。供託金を納めた引換の権利と看做したとしても、それをメディアが報道素材として採用するか否かは当選可能性を以て判断されて然るべきだろう。
 嘗て東京の選挙における風物詩と言えば赤尾敏氏と東郷健氏という時代があり、戦前に衆院議員だった前者を同列に並べるのは失礼かも知れないが、大川総裁が彼等を「インディーズ候補」と名付けて一冊に纏めていた様に、ユニークな存在としてスポットを当てるのは、選挙をハレの場と捉え政治への親しみを醸成するという意味で、余程民主主義の本旨に叶うのではないだろうか。

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