コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月4日(月) 坂の下の門

i173.jpg  天皇陛下のご退位は平成31年4月30日に決着した。年末や年度末を避けたのは皇室行事や統一地方選をはじめとする諸日程への配慮だろうが、敢えてひと月しかない新年度を平成31年度と称するのは二度手間であっても、改元当日に全て切り替わりでは予算書の印刷ひとつも支障を来たしそうだから寧ろ現実的であろう。
 この平成31年のカレンダーを見ると4月30日、5月1日、2日は平日で丁度黄金週間の狭間になる。ただ平成最初の日であった平成元年1月8日は偶然にも日曜日であり、前日に昭和天皇陛下が崩御されての改元であるから過去例には当たらないとはいえ、新元号の初日は祭日扱いになることが予想される。即ち前後と併せて十連休の黄金週間と祝祭に相応しくなるがが、海外旅行が増えて新しい時代の幕開けをわが国において迎える国民が減って仕舞いそうなのは痛し痒しかも知れない。
i174.jpg  元よりかく措置が図られても一年限りの特例に他ならないが、早速取り沙汰されているのは天長節の取り扱いである。皇太子殿下の2月23日が新たに祝日となるのは自明だが、これは翌年からである。問題は今上陛下の12月23日で、畏れ多い話しだが平成への移行にあたっても4月29日が祝日でなくなれば黄金週間に穴が空くといった指摘があったが、12月23日が祝日になった最も大きな国家的な影響は、昭和の時代は早くてもクリスマス、下手をすれば年末まで大臣折衝が続いた予算編成が確実に22日までに決着する運びになったことではないか。
 勿論、その効用を無に帰さない為にもと言うのは不敬の極みだが、慣習法的に定着していることからも何等かの形では祭日となろう。とはいえみどりの日を経て昭和の日となった前例に倣い、ストレートに平成の日とすれば、はてその前はと連想が及ぶのは当然である。
 カレンダーを確定させる為には祝日法を来年改正しなければならない。文化の日の名の元に戦前の明治節は健在であり、奇しくも来年は明治維新150年であることに鑑みれば、思い切って「明治の日」への復辟、文化勲章授与はじめ既に"文化"も定着していると言うならば「文化の日(明治の日)」でもいい。
i175.jpg  そして酷暑を避けて敢えて二ヶ月遅れの10月31日とされていた大正天皇陛下の天長節だが、実は大正期は当日の8月31日も祝日扱いだったから、こちらも「大正の日」とすれば夏休み最終日が一家揃ってお休みとは素敵なプレゼントではないか。

 と勝手な妄想を繰り広げているところで、政府首脳のお話しで皇居乾通りの一般公開が行われていることに気付く。仕事柄宮内庁に赴いた経験はあるものの、丁度このタイミングで訪日した外国人には絶好の機会に他ならなかろう。ただセキュリティ上当然とはいえ宮城は遠く眺めるのみで、これが室町以来の江戸城の大元かと感慨深く道灌堀を眺めても、元より色弱のため紅葉の美しさを常人程に味わい難いハンデも否めないとはいえ、正直なところ「皇居」の文脈には些か遠い。
 中途から二ルートに分かれるので右折してみたが、東御苑は通常でも公開されており、天守台に登ってもこの上に建物があれば曾ては江戸湊まで見渡せたのだろう、と想像を逞しくする以上のものではない。そもそも東御苑に入ってからは順路も明確でないのですぐそこに下界が拡がっているのに幽冥境にする門に辿り着けず迷って仕舞い些か焦りはしたが、迎賓館も貸しホールとして開放するなど、国民が広く皇室を身近に感ずるひとつの手立てとしてはよい試みではないだろうか。平日は存外に空いてました。

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