コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月18日(土) 時間泥棒のツアーは如何  -育児 - パパ育児日記。-

i155.jpg  幾ら校歌にも謳われる学芸会とはいえ、学年全員を須く登壇させる為には、脇に配された歌唱団兼待機ポストから順に舞台に回り、主役も端役も交替で努めるミュージカル擬きの集団歌劇に落ち着かざるを得ないのは道理である。
 ただ台詞や身動きの量までほぼ全員が同格の低学年から、年嵩を増すに連れ力量や意欲に応じてソロの領域も増大するから、一昨年の祐旭の如くに、配役上は主役級のひとりに過ぎなくてもアドリブを交えて観衆の注目を一身に集める様な出色の事態も生じ得る。
 元より作品展との一年交替なので高学年としての学芸会を五年で迎えるのか、或いは六年かは技量に多少の相違を斎すのかも知れないが、公資にとっては最後の学芸会に他ならないのだが、結論から言えば「時間どろぼうと子どもたち」は絵に描いた様な群衆劇であった。
i156.jpg  勿論、日教組的な誤った平等主義に感化されたものではなく、恐らくは物理的な制約故であろう。そもそも運動会に富士学園、更にこの後には合同音楽会と行事が嵩み過ぎて合同練習もままならないとは、もう少し日程を考えて欲しいところだが、何しろ富士学園は区所有で安価な替わりに抽選なので時期を選べないとあらば致し方あるまい。詰まるところパート毎に分離出来、かつ長台詞の無い構成が絶対要件だったのだろうが、恐らくはエンデの原作を小学生向けに翻案した定番脚本ながら、主人公モモを大量の「子どもたち」に分散して担わせた報いか、奪われた時間に利子が付いたりするからこそ「時は金なり」という肝心のな主題にピントが定まらず、齷齪せずに生きようよ的なゆとり教育礼讚にも見受けられて仕舞う。
i157.jpg  それでもオーラスには多少長めの台詞回しとソロ歌唱があり、その六名が言わば主役級なのだが、取り分け前半は時間泥棒が時間を盗むシーンばかりが手を替え品を替え程にバリエーション豊富でなく繰り返され、しかも公資はその最も最初のエピソードに登場して仕舞うので、中盤からはライトも当たらない歌唱席で完全にお茶を引いている。そして肝心の時間泥棒パート1もクラス単位の分割練習に資する為だろう、仲の良い友人達四人で演じているから余計に照れが前面に出て俳優としては全く様になっていない。
 確かに人前でも衒うことなく役になり切れる兄の方がわが家では異色であって、本人曰く端から大役を狙う意気込みは微塵も無かった様だし、時間泥棒の帽子を被ったまま道すがら闊歩して帰着したとあらば本人的には満足だったのだろう。
 先週のマンスリー・テストでは高得点ながら惜しくも全体の平均点が高過ぎて、久々の横綱審議会への推挙は見送られそうな見通しだが、愈々学業専念に向けたターニングポイントとなるのだろうか。

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