コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月17日(火) 神武以来の  -地域情報 - 近畿地方-

i119.jpg  全国行脚のお付きに従事しつつ他の行程調整と個別依頼に応ずるという離れ業を強いられた過去二回に比して、中遠征に随行しつつ平日は概ね、美しく言えばコントロール・タワー主体に徹した今般は合理的な体制であったと言えよう。
 幸い後半戦ともなると事務作業も山を越え、漸く出陣である。京都には幼少時から数限り無く訪れているが、奈良は初めてとは意外であろう。勿論、行脚先に個人的な興味は介在すべきではないが、出来れば知らない街を歩いてみたいのも人情に他ならない。
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 興福寺と言えば仏頭と日本史の授業で刷り込まれているが、改修中の国宝館に替わり東金堂にひっそりと安置されている。阿修羅像も存外に小さかったが、存外に手が少ないと早合点したのは明らかに千手観音との混同であり、手は六本、顔はダダと同じく三面である。阿吽の金剛力士像はじめお歴々を繁々と眺め、五重塔を拝み、少しだけ鹿と戯れて、近鉄奈良駅に程近いさくらバーガーで昼食にあり付く。
 ご当地ラーメンはじめB級グルメが日本中に溢れている昨今、観光資源豊富な奈良は敢えて食で需要喚起する必要性に乏しいのだろう、名物が存在しない。元より金剛像ならぬ混合物は嗜めないが、チキンフィンガーが予想を著しく覆して美味だった。
 観光旅行では無いので須く行程は導線に基づき、その間些かの小休止を挟むだけ、敢えて景勝地のみ記載しているのだが、最後の訪問地にて同じく永田町周辺居住者たる人物や幹部にも邂逅し、さて一段落すれば目の前の橿原神宮に赴かざるを得まい。 中心部から時間距離にして約一時間とはいえ既に面積にして奈良県の八割五分を占めることになった三区の領域にあり、京都程には凝縮されずこの間に神社仏閣が履いて捨てる程に点在している奈良の構造からか、平日の夕刻、しかも幾分小雨滴るとあらば、ほぼ行き交う人も無い見事な迄の静謐さである。
 ここまで来れば天照大神から数えて五代後、地に降りて四代目となるカムヤマトイワレビコ、後の神武天皇稜を訪れなければ帝国臣民として万死に値しよう。在位75年、実に127歳にて崩御されてから2600年の昨年には天皇皇后両陛下も参拝されているが、紀元二千六百七十七年を数えるわが国の歴史と伝統の偉大さを省みてなお、文字通りひとっこ一人いない。
i122.jpg  バブル期を「イザナミ景気」と俗称したのは当時の高原経企庁長官だったが、アベノミクスも後代顧みて高天原景気と命名されたいもの、と畏れ多くも夢想しつつ両手を合わせて頭を足れる。この期に及んで本当は何方様が祀られているのかなどと宮内庁に文句を付ける様な輩は海幸の如くに葬り去られよう。
 して流石に歩き疲れたので近鉄特急にて奈良を後にした。心残りはせんとくんに遭遇出来なかったことか。京都は駅を眺めるだけで寄り道せず、名古屋市にて少しだけ原隊復帰して本日のお勤めはお開きとなる。 後は手羽先を賞味して早々に床に就いた。明け方、日ノ本一の小ささを誇りそうなユニットバスの扉を閉め忘れて警報を鳴らして仕舞ったのはご愛嬌、では済まなかったか。

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