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コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月28日(木) プログレとロングホープ  -政治・経済 - 衆議院解散・総選挙-

i93.jpg  嘗て華々しくスタートした非自民八党派連立細川政権が一年と保たず瓦解し、社会党首班という禁じ手を以て自由民主党が政権に復帰してなお、その年末に誕生した新・新党改め新進党は、小選挙区制下における政権担当能力を持つ対抗勢力として、一定の期待を以て迎えられた筈である。
 解散と相前後して設立され、俄かに民進党の"合流"で第二党の座を得んとしている希望の党は、その新進党との類似が指摘されている。
 そもそも代表からしてパシフィコ横浜にて盛大に挙行された結党大会を党広報委員長として演出した人物であるし、労働組合を最大の支持母体とする民主~民進党に比して"保守"の様相が強いのは事実である。差別化を図る為にも民進党を丸飲みしない戦術を採ることは当然に予想され、こちらは民主党が社会党左派やさきがけ党首の武村正義氏の合流を拒んだ「排除の論理」と重なるが、細かく言えば民進党が参院の院内勢力を維持する形で資源を温存し、衆院側のみ希望移籍を図るのも、往時の公明党が翌年の参院選対応を見据えた現実的な戦略だったのに対し、今般は如何にも場当たり的な段取りに過ぎなかったとしても、先例の踏襲と言えなくも無い。
 ただ希望との決定的な相違はその公明党の不存在に他ならない。そもそも90年代の政界再編は金丸信氏の言葉を借りれば「長男坊(経世会)が家出して」民社、公明に社会党右派迄をもの糾合を目指しており、70年代に構想された野党の「社公民」路線が「江(江田)公民」と揶揄されたが如くに、公明・民社の中道両党が社共共闘から脱却出来ない社会党との協調を諦め、保革伯仲の中でまさに宮澤内閣信任案を三党で成立させたことに象徴される様に「自公民」体制が生まれつつあった、その延長線上に位置している。
 結果的には金丸氏ご本人の隠遁から盟友であった田辺誠氏率いる社会党右派の参画は殆ど叶わず、かつ家出した長男の双子の兄弟が意外に頑健だったと評すべきだろうか、新進党は僅か三年で瓦解して仕舞ったのだが、この文脈に則れば、寧ろ現在の自公政権の方が新進党のDNAを受け継いでいると言っても過言では無い。
 実際、石破・二階両氏とここ三代の幹事長のうち二者を筆頭に、自民に戻ったからこそ命脈を保っているのかも知れないが、自民に新進党出身者が点在しているのは事実であり、前原・枝野といった民進幹部は日本新党初当選は同じでもさきがけ経由のため新進党には属していない。
 要は自公政権において新進党の要素に欠けるのは民社党の有無であるが、新進党が連合内の旧同盟系をベースに社会党支持に残った旧総評系民間労組を取り込む過程にあったー村山政権下にそれは叶わぬ夢に終わったがーのに対し、恐らく希望の党は連合から旧総評系の官公労を排除するのが主眼となり、ここでも新進党と希望には異層がある。
 もしここで旧民社の友愛が独立の旗を挙げることが出来れば、或いは選挙結果如何では自公民の枠組みが生まれ、細川政権以来の政界再編の長い物語が完結するのかも知れないが、残念ながら小選挙区制下においてそれは望むべくも無かろうし、「安保は自民より右、経済は社会民主主義」に象徴される中道政党らしい現実性が、却って足枷となりダイナミックな動きを阻害してきたのは歴史が証明している。
 逆に言えば希望の党は旧同盟乃至は民間労組を配下に収めることによって、自民を鷹とすれば鳩の装いを呈した保守二大政党のポジショニングに自らを位置付けることは出来たとしても、経済的には社会民主主義に近く、社会的には自由主義という、自由民主党において最も「リベラル」であった"長男坊"は組みしていない。
 フロンティアはまだ遠い。

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