コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月18日(祝) 月は隅田の屋形船  -スポーツ - プロ野球-

i73.jpg  評論家を僭称するには程遠いものの、所謂「五社協定」であるとか映画会社の盛衰に詳しくなったのは、嘗て映画産業華やかりし時分、その多くが職業野球の経営に携わっていたからに他ならない。取り分け今は亡き大映は"ラッパ"と称された永田雅一氏が河野一郎氏の盟友、既に死語に近い「政商」として所謂光淋の間事件はじめ度々政局に登場しており、政治・野球の二大評論分野の何れもにも大きく関わることから、長らく関心を抱いてきた。
 学生時代には友人と、打撃を極める余り常人の辿り着き得ない世界に到達し世捨て人の如くあった、大映の後進たる東京オリオンズの榎本喜八元選手宅に近寄り、庭に誂えられたバッティング用と思われる網を道すがら眺めた記憶もあるが、後に沈黙を破って氏自身が雑誌「Number」に登場され、その鳥籠を使っての自宅練習の有り様を語るのみならず、引退後も球界復帰を目指し、東京球場までランニングを続けていたという半ば神話化していたエピソードが事実であったことが明かされている。
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 その東京球場は大映の倒産後、小佐野賢治氏の手に渡りとここでも政治が見え隠れするが、72年には僅か10年の短い生涯を終え、跡地は東京都の所管する荒川総合スポーツセンターとなっている。久方振りに訪れたが、軟式野球グラウンドこそあれ往時の縁を思い起こさせる物は無い。榎本氏は解体の過程をわが身を切られるが如くと表現していたが、左中間右中間の構造がほぼ直線で本塁打量産スタジアムと揶揄はされていたものの、南千住駅から徒歩圏内たる好立地にかく舞台が今も健在なれば、と早過ぎた先駆者の叡智が偲ばる。

 今更の様に思い立って探訪に足を伸ばしたのは、古い週刊ベースボールを漁っていて遂にわが高円寺に嘗て存在したロッテ・オリオンズ合宿所の住所を突き止めたことに触発されたが故である。
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こちらは公物
 学校法人と寺院に囲まれた地域に区の集会所と覚しき施設が存在するが、既にそのものズバリの地番は住居表示から消えており、隣接するマンションが合宿所時分とは玄関口の位置を違えたのではないかと類推される。
 元より経営が傾いた大映に今で言うネーミングライツの形でロッテ製菓との業務提携の道を拓いたのは岸信介元首相とされるが、71年には正式にロッテが球団を買い取り、東京球場の閉鎖で仙台を仮フランチャイズとしつつ、所謂ジプシー・ロッテとして彷徨い、漸く川崎に安住の地を得た頃に活用されていたものだから、そもそも永田オリオンズとの直接の結び付きは無かろう。
 現在の浦和に至る前、既に二軍は青梅を本拠地としていたのだとしても決して近隣とは言い難く、或いは飛鳥田市長の肝煎りで改築新造された横浜球場への同居の可能性が残されていた時分に、双方の中間にプロットしたのだろうか。
 謎は深まるが、俄かに騒がしくなる中で忙中閑ありのノスタルジアであった。

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