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コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月13日(木) さあ、働こう内閣  -政治・経済 - 政治・時事問題-

i77.jpg  金融緩和、財政出動に続く成長戦略に兎角異論、反論百花繚乱ではあるものの、一億総活躍から働き方改革、人づくり革命と、タマとしての技術開発と並行する形で成長の根幹たる人間の数と生産性、その為の教育をと手を変え品を変え注力している姿勢は、掛け声が先行して果実が明らかになり難いとはいえ、もっと注目を浴びて良いだろう。
 ただ現実に働き方改革が政策として形を為して来ると、その経緯に鑑みればやむを得ないものの、些か長時間労働の是正という先祖帰りした様な議論にスポットが当たり過ぎたきらいは否めない。元より高度プロフェッショナル制度の様な非時間管理の拡大は有用である。ただ世の中は時間単位に基づき常に均一な生産性の求められる仕事と、芸術の如く成果が全てという世界に二分される訳ではなく、比較的勤務中の自由度はありつつも便宜上時間管理をベースとせざるを得ない職責は数多存在する。その中間層は高度プロフェッショナルに該当する外見性はあるが、裁量権の少なさに鑑みれば自律的な働き方とは言い切れない。これを時間管理以外の手法を主に据えるのは、恰も民主主義がこれまで試みられた全ての政治体制を除き最低の政治であるのと同様に、恐らく望ましくない。
 勿論、大企業の間接部門において働き方改革をと問われても、精々会議を廃止したり随行者の数を減らしたりと、生産性の分母を小さくする発想しか生まれ得ないのは、時間管理に拘泥せざるを得ない弊害なのかも知れない。
 しかし一方で同一賃金同一労働という概念を用いるならば、詰まるところ後者の「同一」の換算は時間単位が前提となろうし、ジョブ・ディスクリプションの明確でないわが国にはそもそも同一労働の範疇は稀少で、寧ろ同一賃金同一待遇こそが相応しいとの反論は、遷く時間に捕らわれない働き方が具現化しているが如き幻想を想起させて堂々巡りである。更にはそれが単に所謂正規雇用の拡大を求めるものならば、解雇規制の緩和と入れ子という極論に走らざるを得なくなろう。
 ただ詰まるところ、完全雇用の為の失対事業に終始していた独立の労働行政が、企業の尽力と相俟った労働需要の拡大を経て、供給側の質を高める人づくりに至りつつあるという論理は一貫しており、試行錯誤を重ねるのは旧弊に囚われて身動きを縛られるよりは余程建設的だろう。壮大なる実験を試みるには些か舞台が大き過ぎるきらいはあるが、頭の体操だけでは何も生まれまい。

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