コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月21日(金) 忘れた時は出掛けずに  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h963.jpg  ドラマとは世相の鏡であり、たとえ歴史に題材を求めていても同時代の嗜好性が須くそこに投影される。例えば映画「バブルへGO」はかのバブル景気への憧憬に依居するものであろうが、同時にその後のリーマン・ショックで局面は一変したものの、少なくとも製作された2006年の時点では感覚的にはミニ・バブルとも言うべき経済情勢にあったことが伺われよう。
 この段に則れば漫画「疾風の勇人」の意外な人気は、元より高度経済成長期に至るダイナミズムへの郷愁が多分に作用はしていようものの、現下が景気循環の上昇期に位置しているとの認識が、暗に受け止められている証佐でもあろう。
 「吉田学校」たる枠組みをベースに置いている時点で既に小説吉田学校史観の影響が見られるが、かの戸川猪佐武氏は寧ろ三木武吉氏、河野一郎氏から田中角栄氏に至る党人派の軌跡が主眼にあり、小説吉田学校に描かれなかった池田勇人氏を筆頭とする宏池会の歩みを加味したものとも言える。
 ただ結果的に保守本流を形成することになった吉田氏から池田氏、佐藤栄作氏の流れを受容するにしろしないにしろ、須く戦後わが国の骨格を編み出したのが吉田茂総理との解釈は一致している。
 渡辺謙氏の演じた吉田茂「負けて、勝つ」が2012年のドラマである事実は、或いは"吉田"のアンチテーゼであった"鳩山"に端を発する民主党政権の崩壊を視野に入れたものと懐旧するのは些か後読みが過ぎるのかも知れまい。
 とは言え多分に本筋には余分としか表現の仕様の無い親子ドラマが混入されている点を除けば、一貫して戦力無き国家を希求して経済成長を優先した「吉田ドクトリン」が肯定的に描かれている。
 そこには勿論、タイトルにも透けて見える外交官の陸軍嫌いが強く反映されているとしても、果たして経済復旧が一定規模に達した後の自衛力に如何なる想いを馳せていたかは必ずしも窺い知れない。
h964.jpg  五年後の眼から見る時、それは多分に示唆的である。本来、憲法とは国の統治機構の在り方であるとの前提に立てば9条ばかりがクローズアップされるべきでは無いとの議論はあろうが、「負けて、勝つ」を「負けるならいくさ以外で」と読み替えるにしても、晩年の吉田茂氏の恐らくは定着し過ぎたドクトリンへの幾分の悔恨を秘めた静かなる転向に、今ならなおスポットライトが当たっていたのだろうか。

 越すに越されぬ大井川を越えず、その畔の島田駅から程近くに遠征した。永田町稼業に長らく携わっていても、企業と政治家の関係性が永田町とは一変する「地元」の日常的な光景を目の当たりにする機会は稀少なだけに、貴重な闖入であった。少し遠かったけど。

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