コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

5月31日(水) 古希を超えたら  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h928.jpg  日本国憲法が70年なら、 参議院も70年、そして本日、日本経団連もまた70周年パーティとは、1947年という年は戦後わが国が現在の形に落ち着くひとつの節目だったということだろう。
 勿論、憲法が耐用年数の限界を迎えているのと同様に、経団連もまた生きるべき道を問われており、それは既に私が駆け出しの広報マンとして財界担当を務めていた時分からの課題であったが、そのひとつの回答が春闘の対決色の低下と社会保障費の労使を超えた財政問題化に伴い役割を終えた財界労務部・日経連の吸収であったろう。
 而来15年、政権交替による迷走を挟み、再び政権との蜜月関係を築いてはいるものの、今度は逆に政府の一翼と化したが如く振る舞いに疑問符も投げ掛けられている。
 結果として小泉政権の最大のエンジンとなった経済財政諮問会議に参画する段階においても、元より内に入り込み経済運営をリードすべきとの思惑であったろうが、寧ろまわしを絞めずにアリーナからモノ申す財界総理であるべきとの視点は存在していた。ただ経団連自体が財界の保守本流と認知される以前、財界四天王が君臨した時代の、政権を編み出す様な国家そのものへの強い影響力行使を想起するのは、成熟した現代社会においては郷愁に過ぎないと言っていい。
 或いは大企業対中小企業たる不毛な対立構図の解消への一助として、商工会議所との統合は企図されるべきかも知れないものの、振り替えれば財界総本山にも最早会長経験会社である東京電力、東芝の影は無く、定番だった"三井"の枠組みとは縁もゆかりも無い、わが国電機産業の数少ない生き残りが次代を担う道筋が伺われる。
 今更ながら国対国とも言うべき国際競争の時代にあっては、政に対峙する財などと高見に構える余裕など無く、寧ろトランジスタに替わるソフト・インフラのセールスマンを自認して政経不可分の旗印を打ち出す、商人の自覚に覚醒するのが71年目からの課題なのかも知れない。
 パーティは中途に記者会見を挟むため、首脳陣が会場を後にして開会から凡そ20分程で実質的な中〆めとなる。広報マン時分はここからが本番だったが、改めて主を喪い所在無げに残された関係者の群れに漂う如何ばかりか弛緩した空気は、今の「財界」の立ち位置を物語っているのかも知れない。

 ところで今日の昼食会は到着すると既に満席で、ならば飯抜き椅子のみの補助席扱いで全く構わなかったのだが、あにはからんや前方来賓席に案内されて仕舞った。
 しかもこういう時に限って、その高い席に陣取るべく御歴々が続々と現れ、しかも昼食会の定番に相反して一様に中座しない。議員の隙間に何故か一般人が垣間見える不可思議な光景が、聴衆方々から丸見えで好奇の眼に曝されなお気まずい。お出掛けの際はお早めに。

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