コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月17日(月) 国民の信託に応える  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h887.jpg  愈々陛下のご譲位法制も大詰めを迎えつつあるが、国会論議を避けるべく提出前に周到な合意が図られている様に、須く議員はじめ関係者が貝になる傾向が強まる一方で、学術等諸兄の意見開陳は囂しくなってきた。
 ひと昔前なら皇室関係は河原敏明氏の独壇場だったが、昨今はジャーナリズムと言うよりは寧ろイデオロギッシュな視点が目白押しである。例えば"臣下"を自称し旧宮家の出身者で無ければ街宣車に囲まれかねない、笑いを交えた直載な物言いが却って皇室拡大論に却って水を指さないか危ぶまれる御仁や、アジテーション風であるものの存外に主張は穏当な漫画家出身者はじめ、勉強会の類にも多数登壇している。
 ただ押し並べて陛下のご意志の尊重から論を発し、共産党ですら陛下に一定の敬意を払っている素振りが伺えるのは、政治性を否定し恰も天皇機関説が如く解釈を採用してきた日本国憲法下においてなお、皇室の法に表れない権威の存在を裏打ちしていよう。
h888.jpg  従って、その法に表れない権威の継承を法的に担保するのか、或いは敢えて法はそれを明確には規定せず、天皇陛下と上皇陛下の権威の相違はじめ歴史と伝統の知恵に委ねるのか。英国同様のSymbol=象徴の解釈にまで先祖帰りしかねない、そしてその論議を広く万般に行う社会的受容性の薄い戦後わが国において、極めてデリケートな課題であるからこそ、皇室を敬愛することでは人後に落ちない私もまた言葉を継ぎ難い。

 世界のキタノが「おいら」ならゴーマニズムは「儂」が代名詞だが、実際には舌足らず気味で「わたし」の真ん中の「た」が割愛された活用形に近く、小さな「た」が音便の如く残置しているケースも少なくないと、初めて講演を拝聴して認知した。
 従って響きは傲慢と言うよりは、意外に可愛らしい。

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