コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月8日(土) SN比が良くても  -音楽 - 音楽-

h877.jpg  「怒り」の声が小林教授なら「怒り」の音楽は坂本教授というのは些か汎用性に欠ける対比だが、実際病を得ての活動休止中にもグラミー賞候補となった様に、反原発活動のみならず映画音楽には勢力的だった。
 その坂本龍一氏が実に八年振りにニューアルバムを発表するとあらば、その延長線上に環境音楽的であるか、或いは大病をすれば人生観が変わるとばかりに全く異なる"ソロ"を意図したものになるか注目してきたが、結論は矢張り前者であった。
 しかも嘗ての『戦場のメリークリスマス』を少しは彷彿とさせる様な楽曲も含まれているという意味ではまさに映画音楽的だが、大半はメロディはおろか音階すら明確でない現代音楽スタイルで、正直単体で拝聴するには相当な忍耐力を要求される。
h878.jpg  もしかしたら映像とともに賞味すれば違った感慨も得られようかと本日、ワタリウム美術館にも闖入してみたものの、勿論思想性が強くても逆に閉口しようが、美しく捉えればBGV擬きの断片的な映像のコラージュばかりと一緒に見せられても、成る程これが「設置音楽」という新たな形態か、とは朧気にイメージ出来ても残念ながら音楽そのものへの理解には到底結び付くものではなかった。
 とは言え入場料に加え会場限定、のポップの付された坂本発言集も購入しているのだから、文句を言いながらもYMOフリーク気質は全く治っていない。寧ろ同時発売されたアーカイヴ集『Year Book』に第三弾にして漸く、B-2 Unitsをはじめ"ポップ"であった頃の坂本氏が現れたことに代償を求めているのだから世話は無かろう。
 要は過去と現在とで現代音楽と現代の音楽が丁度入れ子になっている構造だが、人は変化を求めるからこそ螺旋階段を幾周も昇り変わった末に、詰まるところは原点に回帰するということか。或いは音楽を極め過ぎると「音」そのものの真贋に耳が傾むくのか。愛好者にとっては拡大再生産であっても、慣れ親しんだあの頃を求めて仕舞うのだが。

h879.jpg  先月御茶ノ水のジャニスを訪れるといきなり店舗が無くなっている。何等の告知なく看板はそのままなので、すわ時代の波には逆らえず閉店に追い込まれたかと早合点しそうになったが、この度漸く嘗ての近隣に再移転が完了して安堵した。
 今どきレンタルでCDを、しかも店舗で借りる輩なぞ希少かも知れないが、意図的にTSUTAYAに供給していないと見られる実演家なりレコード会社のそれを調達するには未だ実用的で、一階に復して中古販売の二号店隣接となったことからも混雑しており、老舗の看板は健在である。
 検索くんが更新されておらずヴィクトリア階上時代の棚を想起しつつ脳裡から現状に置き換えなければならないの少々手間が掛かるが、こちらも原点回帰。

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