コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月3日(月) アブラ・カタビラ  -グルメ - 回転寿司-

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 嘗て出向中に新年の定例行事と化した老舗の鰻店で蒲焼きご飯を頼んで怒られた様に、米は白飯、原則として丼を食さない私にとって、好物であるにも拘わらず鰻は鬼門に他ならない。
 元より社用族として鰻に直面するケース自体が希少だが、佳日は珍しくしかも先方席とあらば覚悟を決めて赴いたところ、肝に白焼き、蒲焼きと並んだところで満腹中枢は血糖に充満されてご飯は割愛、真に鰻尽くしの幸福な神田明神だった。
 東の鰻には脂分が多く、だからこそ関西と異なり焼くだけでなく蒸すのが関東風だが、ここで思い出すのは安芸の宮島にて賞味した穴子飯であろう。
 そもそも鰻丼がアウトで何故に穴子飯を選択したのか疑問を抱かれようが、幾ら原則に反するとの駄目出しを受けても寿司においては穴子と稲荷だけは頂戴し、しかも相当な好物である。従ってその延長線上に何等の疑問無く穴子飯を口に運んだのだが、残念ながら潤いに欠け期待を裏切る逸品だった。
 極めて単純化すれば鰻から脂分を減らしたものが穴子であるとも言えそうなところ、蒸そうが蒸すまいが東西を問わず燃焼する鰻に対し、関東の穴子は煮るだけである。その相違は食感に求めるべきなのかも知れないが、寧ろ焼き穴子の苦味のマイナス要素が私に取っては大きく、煮穴子の甘味こそが美味に感ずる鍵なのだろう。
h874.jpg  従って東京駅に並ぶ広島穴子弁当を、昨今はお値段据え置きのまま幾分グレードダウンした感こそあれ、性懲りもなく新幹線に乗る度に調達し続けているのは、同じ中華料理でも必ずしも本場ままの味付けは求められず消費地に見合うべく改変されている様に、自家撞着だが関東風広島穴子というマーケティングの勝利に他ならない。
 一方でわが家の定番三崎港には別途焼穴子メニューが確固として設けられているにも拘わらず煮穴子も必ずバーナーで炙られ、時ににがりを齊す迄の明確な焼き跡が刻印されているケースもあるのだから、職人技がまた却って余計なお世話を導き出す事例たろうか。
 その分より安価な、ひと皿百円固定の回転寿司は握りと言うよりスライスされた、正直天然の脂分は相当に少なそうな穴子が添付されるだけだからこそ、煮穴子で完結し必要以上に調理は施されない。
h875.jpg  そこで先月の公資とに続き昨日は練習後の昼餉へと赴けば、祐旭曰くご飯が美味と海原雄三並みの解説である。確かに「シャリカレー」なる宣伝もあり白米を売りにしている戦術が伺え、矢張りくら寿司は旨いねと父子蟒蛇の如くに腹を充たす。
 ところが保湿の為だろう、須く宇宙船の様なカップに包まれ周回する寿司の絵柄も、平らげた皿の自動回収システムにも記憶が無い。然して記録を紐解けば高評価をもとに前回訪れたのははま寿司で、比較劣位の例が当該くら寿司だったのだから人の味覚は如何に充てにならないものなのか。押し並べて回転寿司のグレードが上がりコストパフォーマンスに優れてきた証しであると、前向きに受け止めておくべきか。

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