コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

2月16日(木) 裸足で駆けていけるなら  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h834.jpg  私立中高一貫校らしい受験休暇の狭間の一週間に丁度インフルエンザが当たり、二月前半は学校と縁遠くなった副産物として、従来以上に練習に勤しんだ賜物なのだろうか。音楽祭合唱の、今年より新設された伴奏者の部で見事優秀賞に輝いたというのだから祐旭も立派なものである。
 更に言えば平日のため学外には非公開で、妻の撮影した映像で委細感動の瞬間を疑似体感したのだが、指揮者賞に同じクラスの御仁が選ばれた、発表の際のわが事以上の素直な喜び様が実に祐旭らしく微笑ましかったのではないか。

 サザエさんの一社提供が崩れた時分には明確な記憶がある。友人の御成婚二次会のテーマにサザエさんを掲げ、冒頭のナレーション用にと番組を録音すべく構えていたところ「この番組は未来を創る~」ではなく「東芝とご覧のスポンサー」の口上が、フグ田サザエ氏から発せられたのである。
h835.jpg  既にこの頃は次回予告の「ンガング」こそジャンケンに代替されていたものの、日曜夜の「サザエさん現象」が取り沙汰される程に、永遠不変の存在だった番組のひとつの転機に他ならなかった。
 元より先の大戦中に急遽マスオ氏と婚姻し、戦後実家とともに上京した磯野家とは本来一世代以上の解離があるが、丁度幼少期の朝日新聞で絵文字による「サザエさん打ち明け話し」が連載されていたことからも、ノリスケ氏は親族か元下宿人か論争に熱く参画する程にサザエさんの世界には馴染みが深かった。世評揶揄される様に、何故平屋建ての旧式日本家屋にも拘わらず家電製品だけは常に最先端なのか、といった疑問にも親しんで来たのである。
h836.jpg  同時に小学校五年の社会科見学はサントリー府中工場と東芝科学館であった。今となっては何故に府中と川崎を遠征したのか、或いは東芝府中に分館の様なものが存在したのか判然としないが、京浜工業地帯の代表選手であったのは論を待たない。 白物家電から撤退した今、東芝にとってサザエさんの価値は大きく低下していようが、重電だけは自動車とともにわが国を支え続けて呉れようとの期待が淡くも裏切られた、サザエさんからの撤退が現実になればその象徴的な意義は小さくない。
 98年の御成婚二次会では中央に大きな木を誂え、マスオとサザエに扮した新郎新婦以下、「ほ~らほ~ら、みんなが~」と謳いつつ一同下手から現れ、木を境にいきなり行進スタイルになるエンディングを模した余興を披露した。プロデューサーだった私は一族でないアナゴ君として特別枠で隊列に加わっていた記憶がある。
 躍りと行軍の分水嶺となったあの木なんの木、気になる木、と冗談めかしている場合でもないが、次期財界総理すら伺う日立と何処で運命が分かれたのだろうか。

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