コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月19日(木) 吹けば飛ぶよな  -ゲーム - 将棋-

h805.jpg  ウルトラセブン第44話「第四惑星の悪夢」を想起する迄も無く、人工知能の発達したロボットに支配される人間という構図は目新しいものではない。幸か不幸かそれはまだSFの寓話でしかないが、知能競技の世界では既に現実になりつつある。
 市販されている様な将棋ソフトは素人眼にも特定のアルゴリズムに支配されているのが明らかだったが、今や人智には数限り無くともコンピュータには有限な変化を、しかも一瞬にして読み解くのは朝飯前で、ボナンザとの対決が話題を浚ったのも今や昔、犬が人を噛んでもニュースにならないではないが、寧ろ人間が人工知能に勝利する方が稀少になっている。
 恐らくは対人工知能の矢面に立った米長前将棋連盟会長には、引退した自らなら敗北しても将棋界の失墜とは看做されまいとの計算とともに、自らの知名度を活用して話題作りに供したいとの思惑もあった筈である。結果的にその行為が引き金となり任意参加の電王戦なる棋戦まで産み出し、人間の劣位が誰の眼にも明らかになったとはいえ、予想を遥かに上回る人工知能の発達に席巻された責を全て米長氏に帰するのは酷に過ぎよう。
 米長政権を引き継いだ谷川体制を四年で終焉させることになった今般のカンニング問題の結末も、詰まるところは人工知能との対戦を事実上容認した米長体制以来の旧体制批判に帰因する要素が見え隠れしているが、勿論対局時に李下の冠を排除するシステムは必要だとしても、須くコンピュータをタブー視したところで研究の際の利活用まで否定するのは現実的でも無ければ、寧ろ将棋の発展を阻害しかねまい。
 取った駒を再利用しない為に将棋より遥かに変化の少ないチェスにおいては既に人智との優劣が確定して久しいが、これを理由にゲームとしてのチェスが衰退するには至っていない。
 寧ろ棋界にとって喫緊なのはこうした未曾有の事態にリーダーシップを発揮する指導者の存在であろう。69歳で亡くなるまでA級の地位を維持しつつ会長職と両立して将棋会館設立を果たした大山十五世名人の如く、それこそ人智を超えた傑物を望むべくはなく、二上、中原、米長と名人乃至は名人クラスの、引退若しくは引退に近い実力者が会長職を継承した三代は適任者に恵まれた幸福な時代であり、B級1組に陥落したとはいえ未だ光速流衰えぬ谷川氏に同様の差配を求めること自体、無理があったのだろう。
 折しもこの日"神武以来の"77歳、加藤一二三元名人の引退が決まった。何れ谷川十七世の治世が再び訪れるとしても、その日まで集団指導体制を以て乗り切るのか、或いは元前頭筆頭ながら実務能力から武蔵川親方を理事長に仰いだ相撲協会の故事に学ぶのか、今こそ人工知能には決して担えないヒトの力が求められているのではないか。

h806.jpg  新劇が翻訳劇をその端緒としたのは、文字通り歌舞伎をはじめとする伝統芸能に比して新しかったからだが、舶来品を有り難がるわが国の気質が作用していたことも否めまい。
 今では異人を装う者同士が日本語で演ずる特殊な古典劇と化しているが、日本語だから話しの筋は追えるものの、寧ろ中国で映画化される三國志宜しく、観衆が遍くストーリーを把握している前提で細部の説明を省ける利点とともにキメのシーンの演出の巧拙、原作の西洋思想が如何に翻案されているかを味合うところに妙があるのだろう。
 逆にその翻訳劇が輸出されれば歌舞伎同様に台詞自体は解読不能でも、東洋に移植される際の変数にエキゾチズムを感ずると言えよう。
 従って池袋にて、本家倫敦においても上演された和訳のオフィーリアもまた、その意図がどうであれYMOの如く「ステレオタイプの東洋」として受け止められたのではないか、と開会式に長髪の鬘を被って現れる英国議員の心持ちで鑑賞した。

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