コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月1日(祝) 明けましたぬるま湯  -地域情報 - 新潟県-

 明けましておめでとうございます。

h795.jpg  幾分雨模様の元旦はスキーから父のフィールドに変転するも、遠乗りは避け湯沢から関越道では次のインターに当たる石打塩沢地区とは原点回帰であろうか。
 鈴木牧之なる人物は寡聞にして知らないが、その名を冠した牧之通りは古の三国街道の塩沢宿を模した街並みが再構築された造りで成る程風流には違いない。元旦から開業は望むべくもなく甘味ひとつ有り付けなかったのも致し方なかろうが。
h796.jpg  気を取り直し風呂へと向かう。元よりリゾートマンションには大震災以来湯源が閉ざされたとはいえタンク運搬で温泉は完備されているが、湯沢界隈の立ち寄り湯はまだ児童園児時代の子供達とひと亘り浸かり尽くしたので、目指すは丸山の温泉宿とはマニアックである。
 ただ規模からすれば到底長島とは比べるべくも無いものの、露店の岩風呂が小振りながら程良いぬるま湯で、雪景色を眺めつつ長湯してものぼせるでも無く快適であった。
 まだまだ湯沢は奥が深い。

 皇室典範には、帝国憲法下から皇太子、皇太孫の規定はあっても皇太弟の記述はない。だからと言って皇位継承権第一位の宮様の皇太子「待遇」には他の選択肢はあり得ず、そこに特定の意思を見出だすのは論理的には為にする議論であろう。
 内親王殿下の即位を可能とする皇室典範の改正の是非を問う前に次たる天皇陛下を確定するが如き呼称は杓子定規に過ぎるとの形式論は、解釈の余地を与えず杓子定規にするのが皇室典範の最大の眼目であり、だからこそ今般は陛下のご意思との折り合いを付ける為に特措法という苦肉の策に導かれている、という国家の判断に整合しない。
 ただそもそも皇室典範の想定していない退位が論ぜられる事態こそ極めて杓子定規の範を超えているのではないかとの疑念があるからこそ、根源的に何か釈然としない感が残るのだろう。要は我々は天皇機関説ではなく人間としての陛下を自然に受容しているという帰結か。

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