コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月30日(水) 雪割り桜にはまだ早い  -音楽 - J−POP-

h758.jpg  多くの音楽実演家は、ある時は他者との協同作業の齊す意外性に惹かれてバンドを指向しながら、一方で協調の煩雑さと個々人の嗜好性と技量の差異に煩悶してソロ活動に回避するという、両岸の間を行きつ戻りつするのだろうか。
 音楽活動40周年を迎えた矢野顕子氏の、箱入り写真集付きの御大層なベスト盤『矢野山脈』を通聴して、基本的には20年前のベスト盤『ひとつだけ』の延長線上に位置するものの、後半に及ぶに連れ出前コンサートに代表される弾き語りと、伝統的なバンド形態ながら多分に即興性にも依拠し得る手練れの音楽家逹との合作の混在がより色濃く伺えよう。
 その中でYMOとの活動期にあたる80年前後が、氏の長いキャリアの中ではピアニストらしさが隠し味となっており、個人的にも多様な音楽に触れ始めた小学生末期の感受性にもマッチしたのだろう、未だに最も聴き馴染んでいるが、敢えてそこに"テクノ"たる範疇を冠するならば、近年の矢野氏のアルバムに再びそのテクノ風味がまま現出しているのは、恰も螺旋階段を廻るが如くで非常に興味深い。
 勿論、同じ階層を巡回はせず曾ての所謂テクノポップに対して現在はピアノとテクノの融合たる趣に他ならない。その象徴が三度目のリニューアルとなった『矢野山脈』収録の「春咲小紅」であり、丁度20年前の再録「ひとつだけ」が後のピアノ弾き語りバージョンの原型となったのとまさに好対象であろう。
h759.jpg  ただ野心的な試みであるピアノとテクノの融合だが、坂本教授久々のバンド・ツアーと名打たれた公演がカラオケに無理矢理生演奏を被せた様な惨憺たる結果に終わったのと同列視しては失礼かも知れないが、些か木に竹を接ぐが如く響いているのは、趣味の領域を勘案してなお残念である。
 寧ろ電子音主体の伊勢丹のテーマソングの方が企画モノであるだけに綺羅びやかで80年代の面持ちを醸し出している。元より実演家に過去の再生産を求めるのはフリークの悪い癖だが、50周年に向け華やかでキッチュな矢野氏に再び出会いたい。企画展YANOTANの行われた、伊勢丹が、80年代の西武の様に玩具箱をひっくり返した様な百貨店の輝きを取り戻せるかはまた別の話しだが。

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昨年のWorld Hapinessより
 YMO後のテクノたる文脈では、"Over The Top"を掲げた細野氏の32ビートが嚆矢だが、ポップから歌謡曲路線に至ったユキヒロ氏が久々にテクノに回帰し細野氏が共鳴したスケッチ・ショウが実質的なYMOの再々結成に結実している。
 逆に細野氏は更に先祖帰りしてカントリーに安息の地を求めているが、ユキヒロ氏は教授の休場と相俟って再び形を潜めたYMOに替わりメタファイブとしてテクノを追求し続けており、装いはテクノ風味だがメロディの明確なテクノポップに再会した感があったのは頼もしかった。
 しかしながらこれも曾てのユキヒロ氏がテクノから英国由来のニューウェーブ色に被れた時系列と同一歩調の展開が、メタファイブのセカンド・アルバムに明瞭なのは個人的に心配である。
 何よりもレオ今井氏の起伏の少ない旋律のみならず、取り分け声質が生理的に受け入れられないのは致命的であろう。逆説的に言えば改めてユキヒロ氏のボーカルもまたYMOが人口に膾炙した要因のひとつだったということか。

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