コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月19日(祝)  忘却とは忘れ去ることなり  -アニメ・コミック - アニメ-

h669.jpg  まだ五歳の祐旭を連れて亀有を訪れたのは八年前、即ちこの時点ではまだ熱心なこち亀の読者であったことが裏付けられる。
 初期のスラップスティック劇からマニアネタの見本市を経て、恰も映画版ドラえもんがドラえもんの世界観を借りた冒険活劇であるのと同様に、下町の寿司店や大阪府警といった全く異なる舞台にキャラクターを当て嵌めた複数ステージの輪番に落ち着いたのは、ネタ切れと言うよりは作者自身の厭きを回避する為の措置だったのでは無かろうか。
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園児時代の祐旭と(08/11)
 結果としてそれは長期連載記録を更新し続ける延命には寄与したが、こち亀の最大の魅力であった過去の膨大な軌跡に立脚した仮想空間に現実味を与える裏付けが希薄化し、螺旋階段を登るのでなく堂々巡りしているが如く映ったのが個人的には関心の薄れた要因だったと分析出来る。
 恐らく作者自身が最もその惰性に気付いており、取り分け昨今は神格化され幾ら羽目を外しても却って賞賛されるだけという環境に居心地が悪くなっていたのでは無いか。
 記録の為にスタメン出場して早々にベンチに消える、痛々しい最終年の衣笠選手でなく、自ら欠場してなお三年の命脈を保ったリプケン選手の如く、秋本治氏には山止たつひこ時代を思い出してとは申すまいが、普通の漫画のポジションに戻ったこち亀の緩やかな晩年を是非改めて描いて戴きたい。

h670.jpg  一家揃っての「君の名は。」。若者向けの恋愛ドラマの舞台設定に自然に用いられる程にSF推理・謎解きの要素が市民権を得ているということか。
 声からしてBUMP OF CHICKENの紛い物の様な楽曲、評すると最近の若者はと嘆く年寄り風情だが、ミュージカル宜しく矢鱈と流れる演出は余り好みではない。とはいえジブリの如く真知子巻きならぬ左巻きの思想も見当たらず、深刻になりそうなシーンも笑いで中和するところも現代風である。
 言葉遊びをフックにしているのも野田秀機というよりは、非都市部の民間伝承を装う処がジブリ擬きではあるが、商魂逞しく元ネタ探しでもうひと儲けを企む技術は見習わないで欲しいところである。
 流石にゴジラを上回る興行収入は必ずしも納得出来ないものの楽しめたのは間違いない。恐らく主たる視聴層には「転校生」の翻案と言っても通じないし、オマージュには違いないがラストの邂逅もよくみれば数寄屋橋、更に耳を凝らせば僅かに赤尾敏氏の演説が谺している、ことは無かったと付言しておこう。

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