コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月4日(日) 神輿に乗る人担ぐ人  -育児 - パパ育児日記。-

h659.jpg  曾て子供達が神社経営の幼稚園に通っていた際は御輿は荷が重く、山車の曳き綱に手を添え徒歩行軍に及ぶこと幾度であったが、長き地元でありながら馬橋稲荷の四年に一度の例大祭が宮御輿の巡業を以て執り行われるとは、寡聞にして初耳であった。
 朝かたの豪雨も上がり小学校に集合すると公資には早速「まばし小」名義の法被が手渡され本格的である。しかも到底「御輿は軽くて」と揶揄出来そうもない子供御輿を前に暫し待機していると、荒くれ者チックな身形の男どもに担がれた本御輿が学校前を通過する。随行の軽トラックに加え殿には白馬に跨がった米寿の宮司様と豪華絢爛ではないか。
 追随する子供御輿も、当初は胴上げに加わらず向正面に向かって万歳する賑やかしの野球選手の如くに取り巻きに留まっていた公資も、頑強に見受けられる体格故か程無く友人とともに先頭の担ぎ手に招聘され、被写体として映えること夥しい。
h660.jpg  馬橋通りまで辿り着いたところで右折する子供御輿を見送り、仲通り商店街を竿で電線を持ち上げつつ闊歩する本御輿に暫し追随し、既に小学校OB故に声出しに終始した祐旭と父は退散したが、子供御輿は想定以上に長駆回遊して馬橋稲荷まで練り歩いた模様で、ガリガリ君を戴いてなお些かグロッキーだった公資は地元選出大臣の尊顔を拝する前にこちらも神社を後にしたという。
 青梅街道上を走る都電杉並線の健在なりし時分は高円寺・阿佐ヶ谷と同格だった馬橋の町名が住居表示の改訂により消えて既に既に半世紀余り、敢えて名称を残す為に馬橋を名乗った神社の英断は、杉並公立ナンバースクール名義に統一されなかった小学校はじめ、青梅街道と早稲田通りを結ぶ足として重宝されている地域道、更には旧気象研究所跡地の公園、果ては音頭に至るまで、馬橋の名を今に伝える縁となっている。
 馬橋のわ~れ~ら~。

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