コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月26日(火) 頑鉄と次郎  -スポーツ - 野球全般-

h588.jpg  わが国における野球の振興は戦前期は第一に東京六大学を中心とする大学野球が担ってきたと言ってよい。従って商業性を否定的に捉えられた職業野球と卒業後の六大学OBの居場所となった社会人野球は、ともに後発として寧ろ相携える間柄だったと言ってよい。
 その構図が転換されるのは六大学からのプロ入りが恒常的になる昭和30年代で、昭和33年の長嶋茂雄氏の巨人入団以降、職業野球が中核に躍り出る。従って昭和36年のプロアマ断絶の引き金となった所謂「柳川事件」はプロと社会人野球の力関係の確立を象徴的に示したものとも言える。
 勿論、社会人野球における主流が初期のクラブチームから企業チームに移行していったのは、企業スポーツそのもの意義もまた従業員の福利厚生から広告宣伝、或いは社員の帰属意識、士気の高揚へと転化され、更に体育会で鍛えられた人材の確保たる現実的側面も左右していた筈である。
 ただそれでもなお社会人野球の最高峰に「都市対抗」の名が冠せられていたのは、長らく東京・大阪にフランチャイズの偏重していたプロ野球に対する僅かな優位性であったろう。
 バブル期に仕組まれた蹴球のプロ化が、遥か後発であるが故にプロを頂点とする組織の一元化とスポンサーシップを隠蔽する地域性の標榜を為し遂げたことにも感化され、今やプロ野球もまた地域分散が進み、一方で経済的基盤を喪いつつある企業チームは暗黙の住み分けとなったプロ養成機関の座を独立リーグへと委ね、クラブチームへの回帰の名の元にスポンサーシップを剥奪される一方で、僅かに生き残ったそれは一定条件下に元プロ選手を受け入れることにより、漸くヒエラルキーの傘下に自らの地位を再定義させる過程に入ったと言えよう。
 この中で豊田市と日立市という典型的な企業城下町同士で争われ、元プロ選手をレギュラー捕手に戴くチームの初優勝は実にわが国野球の今を端的に現す事例であったのではないか。

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