コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月5日(火) 軍都の遺産  -地域情報 - 東海地域情報(愛知・岐阜・静岡・三重)-

h562.jpg  東三河の中核都市・豊橋は昭和63年に三河安城が新設される迄は愛知県では名古屋と並ぶ東海道新幹線に僅か二つの内のひと駅であり、言語的には遠州に近く尾張や中京工業地帯を担う西三河とは別個の文化圏と言っていい。
 古くから糸ヘンの街として知られたが、同時に戦前はわが国有数の軍都でもあったことを想起させられたのは、隣街である豊川まで足を伸ばしたが故の所産であった。
h561.jpg  本来は同市の総合体育館が目途であったが、帰路の足を求めて彷徨っていると唐突に懸垂式のモノレール車両が眼前に現れる。場内を覗けば懐かしき0系新幹線も鎮座しており、鉄道フリークならずとも些か興をそそられるではないか。銘盤から拝察すると日本車輛豊川製作所とあるが、では何故に広大な車両製造工場がかの地に存在するかと来歴を紐解けば、東洋随一の規模を誇った豊川海軍工廠跡の一部らしい。
 元よりゆったりと検分する暇は無く引き返したが、帰路の目的地に豊橋公園を選択したのは見えない力による導きだったかも知れない。単に幾分羽根を伸ばして愛知県では唯一生き残った路面電車にLRT視察の名を借りて登壇を試みる為に、豊橋鉄道市内線の数ある停車場から照準を定めたに過ぎなかったが、同地は豊橋の旧名称たる吉田城址であり、既に要害たり得かつ一等地に纏まった土地が求められ易いことから大阪や仙台がそうであった様に、ここもまた歩兵18連隊の兵営だったのである。
h563.jpg  後継たる陸自は既に先の豊川海軍工廠跡へと去り、旧軍用地の御多分に漏れず隣接する市役所はじめ公的施設に転用されているが、僅かに再建された本丸の一部が転変の歴史をひっそりと物語っている。
 路面電車は平成に入って延伸された珍しい例だが、幹線道路の豊かな幅員と過剰で無い交通流の両条件が旨い案配で合致した例なのだろう。炎天下に立ち尽くして疲労は嵩んだものの、職務柄も評論家業にも資する蜻蛉返りであった。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kayukawa.blog41.fc2.com/tb.php/3397-5117e7b6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad