幸い派閥パーティは開会前の立礼に所属議員が並ぶため、ここで握手出来れば一網打尽、効率的に他ならないが、誤算だったのは東京プリンス亡き後の新高輪プリンスへの道程で、水道橋というわが方の辺鄙さを割り引いてなお、長距離に加えて構造上の車寄せ渋滞とが相俟って辿り着いたのは哀れ開会後であった。
しかも円周をぐるりと一巡して開場に到達するだけでもひと苦労で、名刺を置いて僅かに痕跡を残し直ぐ様踵を返して移動したものの30分の時間差も活かせず、二発目も既に領袖のダミ声が木霊する会場は足を踏み入れる余地も無い。
かく時勢においては華々しいパーティは自制すべきというのもひとつの考え方であり、現に防災をテーマとするセミナーに切り替えたケースもあったと聴く。ただ一方で某知事の言ではないが、過度に自粛することなく寧ろ日本酒をはじめとする熊本の特産物を消費しようというのも、復興への寄与の方策であろう。
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そもそも個人的には「Purple Rain」は聴いたかなという程度の洋楽音痴なので、大学時代のサークルの友人達の足跡を追ったHPに、レコード会社と揉めて象形文字を名乗っていた時代の通称から"Formerly known as"の構文を戴いたことが想い起こされる位の関わりしかない。
ポール・マッカートニー氏やミック・ジャガー氏に代表されるロック・スターの健全な老後が描かれる中で、ジミヘン氏やジム・モリソン氏宜しくドラマチックな最期もまた健在で、しかしながらそのタイミングが後出しされた分、伝説として祭り上げられ難い世界になったという、当たり前の事実に直面したと幾許かの感慨を記しておこうか。