コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月17日(日) Let's Debut Again  -音楽 - 懐かしい歌謡曲-

h459.jpg  例えば松田聖子氏の非ユーミン楽曲における故・大村雅朗氏や、夫婦時代の平松愛理氏楽曲を始めコード分散綺羅びやかな清水信之氏ら、寧ろ編曲者の名前が印象に残るケースは少なくない。
 だからこそ「ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち」には、知財権も確立されていない編曲家という職人に陽を当てるのみならず、ディレクターやスタジオ・ミュージシャンという彼等を取り巻く存在をも再評価の対象として明らけくしたという意味で、 歌謡曲フリークとしても、また実演家の端くれとしても非常に興味深く読了した。
 ただ同時に楽曲全体にパッケージで関わる分野だけに、現に奏でられる音の大宗が自然に脳内に再現される程に耳馴染んでいる曲で無ければ縷々説明されても実感が湧き難く、音楽を言葉で表現する難しさもまた改めて思い知らされたとも言えよう。

h460.jpg  この観点からは一昨年逝去した大滝詠一氏のニューアルバムは、絶好の研究材料だった筈である。
 提供楽曲からオケは同一で氏のヴォーカル・バージョンと、キーとオケも異なる純粋大滝版が混在しており、取り分け前者では声と符割りの異動が井上鑑氏のアレンジを逆説的に如何に引き立たせるか、が浮かび上がって然るべきである。
 しかしながら結論として編曲の妙の発見に至らなかったのは、詰まるところ私の耳は編曲を総合芸術として受け入れる域には至らず、「異邦人」や「迷い道」の様な極めて特徴的なイントロや責めてオブリガード程度までを、別個のメロディとして知覚するに留まっているからに違いない。
 極めて好意的に捉えればメロディ・メーカーや独演家としては一定の機能を果たせたとしても、バンマスには些か役不足ではなく力不足という帰結に至る。
 なお大滝氏には78年にリメイクによるベスト盤「デビュー」があり、生前の氏自身がラジオで「次はデブ・アゲイン」と揶揄していた経緯を踏まえれば、含蓄のあるタイトルであったとは言えようか。

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