コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月14日(木) 帰納と演繹

 保守の思想とは緒戦人間の理性的判断は人智の範囲を超えるものではないから過去の経験則に従うという意味で、優れて帰納的であると言えよう。
 元より人脈という言葉の響きの美醜を於いてなお政治のフィールドに周辺居住者であっても携わるならば、人と人の交わりにより物事が編まれていく仕組みは、恰も務台読売元社長の「白紙でも売ってみせる」の言にも似た現実として受け止められよう。
 確かに周辺居住者の命題がロビイスト擬きの政策決定への影響力の行使である以上、人間関係もまたその効果測定に帰因する、演繹的に導き出された要素が求められる。ただ政治と行政とが混在する議院内閣制である以上、兎角省庁を軸とする縦割りの構図に単純化される一方で、同時に横断的に調整を図り決着を齊す機能を、政治が有していることを忘れることは出来ない。
 例えば極めて実利的な影響力の行使という観点からは全く削ぐわない、下世話に表現すれば飲み会では頻繁に顔を合わすにも拘わらず、一度も"仕事"を共にしたことの無い人間関係が、ひと度別の局面で突然に効用を発する可能性を否定出来ないばかりか、到底想像に至らぬ援軍の到来は縦割り社会に対峙するに当たっては絶好の煙幕たり得るとの解釈も成り立とう。
 勿論だからと言って惰性で友達百人出来るかな、の世界だけに留まっていては本末転倒には違いないものの、実利的な関係性を整理して再認識する作業と、一見無駄飯に過ぎぬ様な結び付きを、長期的な投資と看做して許容する双方向のバランスが必要となる。その為には資源の余力とともに長期戦の構えが必定だから、永田町周辺居住者は霞ヶ関のそれよりも長居することになる。
 と自らの存在を自認するが如き言ではあるが、考えさせられる昼と夜であった。

 その会食の最中に熊本にて大きな地震が発生する。初動としての安否確認は職責ではないので見守る他の術はないが、職業柄の第一感は誤解を怖れず述べれば、ダブル選挙は遠退くだろうということである。

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