コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月16日(水) 民進くん  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 賃上げがかく注目を集めるのはデフレ続きだった21世紀のわが国経済においては経営側にとっても面映ゆい悲鳴には違いなかろうが、登場するアクターとして経済団体・業界団体が形を潜めたのはバランスよりも業種・個社の実績に応じた個別対応が定着したからであり、必然的に総資本対総労働という文脈におけるカウンターパートたる連合の存在感もまた希薄になっている。
 寧ろ政府が成長の果実の分配に依る好循環の音頭を取り、企業間の替わりに企業グループ内、平たく言えば"系列"におけるベアの横並びならぬ縦並びが推奨されるに至っては、些か修正資本主義の香りが濃厚に過ぎるものの愈々日本型コーポラティズムも成熟の域を超えつつあるとも謂えよう。
 元より春闘を政治闘争に援用した総評政治部としての社会党が労働者を代表する政党のあるべき姿だったとは思い難いが、少なくとも社会党を源流の一部とする社会的なニュアンスにおける"リベラル"の党の影が一向に浮かび上がらない往時との好対象もまた、二大政党制に突き付けられた国民からの疑問符と平仄の合ったものなのだろうか。

h419.jpg  勿論、全く影響力を発揮し得なかったとは言い過ぎだろうが、新党問題が変転を余儀無くされただけに本業がお留守になったが如く世評受け止められたのは得策では無かった筈である。
 そもそも民主の看板に拘るのは20年の歴史への敬意のみならず来るべき参院選に向けた現実的な要請であり、自由民主党もまた公募による決定だったと被合併側からの助け船に乗りつつ「民主」に準拠した落とし処を探るべくところ、蓋を空けてみると支持者からも「民主党は嫌い」と広告通りの烙印を押されて仕舞ったのでは立つ瀬が無かろう。
 結果として耳馴染みのある様な無い様なネーミングに落ち着いたが、新進党が新党ブームの集大成としての「新・新党」からの語呂合わせと揶揄された以上に、「進」は一体何処から現れたのかは判然としない。
 "国民とともに進む"という尤もな解説こそ施されてはいるものの、中華民国のそれも新進党の当初案も英訳にはなProgressiveを充てており、即ち一般代名詞を超える意味合いは求め難かろう。ただだからこそ敢えてInnovation=革新といったイデオロギーに拘泥しない構えを政府・与党へのアンチテーゼと捉え、野党結集の旗頭に徹する短期決戦の構えを明瞭に出来るとすれば瓢箪から駒と捉えることも出来よう。
 民主主義を守りたいと大上段に構える前に、先ずは議会制民主主義における代替の受け皿に徹する気概を、民進党には求めたい。

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