コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月10日(木) 霧は晴れたか  -スポーツ - プロ野球-

h414.jpg  1970年の週刊ベースボールを読み進めてむと、当初こそ強く否定を繰り返しながら芋弦式にクロ判定が増えていく、所謂「黒い霧」恐慌の様が伺われる。
 元よりオートレースという公営ギャンブルにおける不正即ち刑法犯と、野球協約上の違反たる敗退行為=八百長の並走した70年と、賭博の対象でないプロ野球に賭けを持ち込んだノミ行為に準ずる今般とを同一の視点で解釈することは出来ない。しかしながら野球の競技そのものを賭けに供している時点で、嘗て処罰者を排出した額の多寡が罪刑を構成する麻雀賭博と異なり、俗に反社会的とされる分野の介在という観点から野球協約上の裁断が下されるのはやむを得ない。
 ただ不可解なのは昨年、三選手の処分で幕引きが図られたにも拘わらず、何故に今更唐突に新顔が現れたかであり、更には敢えて当該高木投手のみ記者会見を設営した、その様式の意味するところであろう。
 確かに万事おおっぴらだった70年代の様に次々と灰色高官宜しく五月雨式に報道に名が踊る展開は人権に煩くなった現代では考え難く、従って唐突感溢れる発表に収斂しただけかも知れないが、首謀者とも言うべき前三者と高木投手とを切り離し、言わば被害者モードのポジションに据える意図は明確に見出だせよう。
 「黒い霧」においては事態発覚以前に内々に疑義のある選手を処理した近鉄はフロントに逮捕者まで出しながら大きな被害を免れた一方で西鉄がスケープゴートとなり、中でも金銭を預かっただけで八百長行為に荷担していない池永投手は、他の追放二選手と明らかに差異があるとの指摘にも拘わらず、力量の大きさ故に象徴的に追放処分が下されたという二重の見せしめ効果が働いたと言える。
 高木投手はそこまでの大物ではないものの一軍戦力には違いなく、だからこそ実行し得る立場にあった八百長には荷担していないことを明示するとともに、半世紀近く前の教訓を踏まえて明瞭に共同正犯にすら当たらないとの峻別を企図したのではないか。それはコンプライアンス天国の現世においてはともすれば鼻白まれる画策かも知れないが、少なくとも敗退行為そのものに及んでいない限りにおいては、開幕前に打ち止めを図るのは日本プロ野球界にとって有益な処置であろう。
 替わりに読売巨人軍は自主的に今季の栄達を過度に希求しないという日本的な阿吽の呼吸は八百長とは呼ばない、とは些か踏み込み過ぎかも知れないが。

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