コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月11日(祝) 昭和も遠くなりにけり  -スポーツ - プロ野球-

h357.jpg  腰痛のおかげで珍しく特段の目当ても無くTVを付けると飛び込んで来たのは名球会のチャリティ野球であった。
 創始者であり長らく同会に君臨してきた金田正一氏の退陣を挟んで久々のイベントだったが、驚いたのは投手陣の層の薄さである。元より捕手の二千本安打達成者に人材を得ない為に、嘗てもセの捕手は万能野手の松原が務めるケースが多かったので、パの和田、小笠原という元捕手の起用に違和感は無い。しかしながら寧ろ投手は多彩な重鎮陣からコーチとしてユニフォームを纏う中堅まで次々に現れ、体力的に早々に若手に切り替わる野手よりも重厚な布陣だった記憶がある。
 確かにパ側は山田、東尾と還暦を超えた大物登板こそあれ51歳の工藤、47歳の野茂が二イニングずつの重労働で、六回までに短縮したにも拘わらず締め括りは野手の中村紀に委ねる始末、逆にセは年齢こそ大差無いとはいえ山本昌、佐々木、高津、岩瀬と現役に近いか現役の顔触ればかりと、中間層に著しい人手不足である。
 勿論、八十路に近い小山、米田の御老体に鞭は奮えまいし物故者も増えと会員名簿を眺めてみると、金田氏に殉じたと見られる退会者の影響もあろうが、そもそも200勝というハードルが今や高きに過ぎ新入会員の補充に乏しい実態が浮かび上がる。
 ただこの中で白眉だったのは矢張り世界の王ではなかったか。始球式では甲子園に続いてマウンドに登り長嶋茂雄氏が左手一本で打ち返せる好球を揃え、捕手まで届くかという特別出演・江夏の球を思い切り身体を引いて右前に運ぶ技術は到底75歳とは想い難い。逆に言えば名球会のタレント不足を露呈した形だが、僅かに真っ向勝負に強い清原の打棒が救いだったか。

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在りし日の広島市民球場
 ショートリリーフなら現役でも通用しそうだった工藤監督とともにセで光ったのは果敢にスライダーを投じた先発の北別府投手だろう。
 その北別府氏を発掘した広島カープの宮川元スカウトが8日亡くなった。現在も日本記録の通算代打安打187本の宮川氏は亡くなった津田投手はじめ首脳陣の緒方監督、高ヘッドコーチ、チャリティ野球では現役時代の仏頂面と一変していた前田外野手と教え子を並べてみると、熊本生まれで日鉄二瀬出身の古葉元監督の経歴に由来すると解釈されがちな「九州カープ」が、実は宮川氏が築き上げたと言って過言ではないことが明らかになる。
 黒田・前田二枚エースの揃った千載一遇の昨年の好機を逃したのが改めて悔やまれよう。

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