コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月4日(金) さすっている様で 叩いている  -アニメ・コミック - 漫画-

h321.jpg  政策と政治とは似て非なるものである。理屈は後から貨車で付いて来るとばかりに後者だけ突出した浪花節の世界では複雑化した現代社会には前時代的かも知れないが、幾ら優れた前者でもその具現性には後者の巧拙が大きく作用しよう。
 嘗て販売の神様と称された読売新聞の務台光雄会長が「白紙でも売ってみせる」と豪語したエピソードは些か乱暴に過ぎるとしても、兔角中身だけが持て囃されて貶められがちな脚回り側の心情を吐露したものと言える。
 舞台回しの黒子は数字を駆使して華麗にブリーフする政策マンの横に控えてお説を聞き齧り、門前の小僧宜しく知ったか振りする程度である。ただ大仰に言えば自社連立政権の端緒のひとつが村山ー梶山両国対委員長のパイプであった様に、或いは不適切な例かも知れないが嘗ての国会対策委員会に卓を通した物心両面の関係性が欠かせなかった様に、現実を軌道に乗せる為には潤滑油が必要であり、高尚なる政策立案課程に不似合いな寝技と蔑まれてなお、円滑な人間関係の構築を第一義として邁進する、そのまた草鞋を作る人の矜持も存在するのである。

 猫娘という伴侶も得て再版を重ねる度により人間らしく、正義のヒーロー然としていくアニメーションの鬼太郎も未だ「ゲゲゲ」の愛称すらなく「墓場の鬼太郎」だった原作漫画においては、充分にエスプリの効いたひねた少年妖怪に他ならなかった。
 取り分け第一巻の父の骸から片目がぽろりと落ちて擬人化する冒頭の下りは、コミカルな目玉親爺の後年の姿に先に接しているだけ余計に、子供心には些か戦慄の走る描写であった。
 水木しげる氏が大東亜戦争で片手を失った傷痍軍人であることを知ったのは随分後だが、反戦に誘われるべく感情を徒らに作品に投影することなくアミニズムに近似した世界を全うされたのはひとつの矜持では無かったか。
 妖怪と人間のハーフの鼠男はさておき、子泣爺、一反木綿、塗壁に対して著しく戦力として見劣りし、何故レギュラー入りしたのか不可解な砂掛婆もこの世から見送りしたことだろう。お疲れ様でした。

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