コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月22日(日) 大阪ストラット・パート弐  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h304.jpg  1勝1敗もと喧伝された大阪ダブル選は蓋を開ければ市長選も20時当確の「おおさか」の圧勝に終わった。底流として涸れることなき安倍ー橋下連合を視野に入れればおおさかサイドが息を吹き返す結果が政権にとって吉か凶かはまだ判らないが、少なくとも再分裂のドタバタ劇にも拘わらず人気の衰えない、帝都では計り知れぬ天下の台所の空気を、改めて思い知らされたのは疑い無い。
 地域政党が代表者のキャラクタに依存するのは洋の東西を問わないが、同時に中央政府と地域代表との視点から捉えれば、70年代の都市部首長選における革新の躍進、即ち東京、大阪、京都、横浜、沖縄の頭文字を並べたTOKYOの記憶が甦る。既に産業構造の変化から社会党政権誕生に警鐘を鳴らした石田博映氏の指摘があり、地域の反乱は来るべき国政における変革の先駆と賞賛されたものの、振り替えれば美濃部都制の「橋の哲学」に象徴される様に、有権者の声に過敏になり耳障りある政策を回避するポピュリズムの弊害が過大になり、80年代の首長の行政官回帰に帰着する。
 言わば直接選挙による振れ幅の大きさという大統領制のひとつの危険性を歴史から学んだと看做すことも可能だろう。
 但し小選挙区制が政党の選択を通じて首相を選任する疑似的な直接選挙の要素を強めているのも事実であり、国政もまた代表者のキャラクタに依拠する部分が増大しているとするならば、憲法改正を視野においた三分の二議席の確保という現実的な利得をおいてなお、新たな親和性は見出だせるのかも知れない。 愛知や愛媛の大阪に追随する動きは二度の衆院選を経て少なくとも現時点では沙汰止みになっており、地方の反乱乃至は都市対地方の構図からも遠くなっている中でひとり突出した「おおさか」が中央と手を握る時、或いは正反対にカードのひとつでしか無かったことに気付く時、大阪府市民はどう受け止めるのだろうか。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kayukawa.blog41.fc2.com/tb.php/3301-8fdebabb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad