コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月21日(土) 海賊は巻き戻し  -育児 - パパ育児日記。-

h298.jpg  小学生の演劇が、幕毎に主役を交替するのみならず七人の小人の如く並び大名が必要以上に多数配される群衆劇に帰結するのは、民主主義の一要素たる平等性の檻に留まる以上やむを得ない。
 ただその結果、脚本自体がストーリー性よりもバランスへの配慮に満ちたものとなる以上に、望遠レンズを通しても舞台狭しと動き回るわが子を追い続けるのにも支障を来しかねない。事実、少しぽっちゃりした海賊を見付けると公資かとシャッターを切り続け、全量消去のやむなしに至ってもっとふくよかな海賊を探すものの、海賊班も2サイクル入れ替わりのため同じ衣装の御仁が舞台狭しと暴れ回ってても不在の間もあり、詰まるところ到底話しの筋を追うどころではなかった。
h299.jpg  二度目の登壇も鉄砲玉として真っ先に斬られ、末は福本清三氏二代目ブラック将軍かと唸る間もなく、カーテンコールでは歌唱隊の一員と化していた。
 ただ一年上がって四年になると、勿論教員の趣味趣向や手練れもあろうが、 笑いも交えて小慣れた大衆演芸擬きと化しており、更に五年は新機軸のミュージカル仕立てとは侮れまい。俳優の力量に頼れない制約の中では群衆劇より動きが少なくて済むとの判断だろうが、メインの合奏こそ手が混んでいたとはいえ前段のコーラス部は些か間が保たない感は否めなかったが。

h300.jpg  過去二回はわが子の出番のみだったが通しで見ると確かに退屈な要素もまま見られるものの、小学校の六年間に如何に児童が成長を遂げるかは概括出来る。そしてオーラスの六年生に至ると平等性を担保しつつ、同時に個体差にも応分に配慮して演劇性の向上が謀られているが、感慨深く見入ったのは矢張りわが子の奮闘故だろう。
 児童文学におけるSFと言えば嘗て小学四年の教科書に掲載された「砂の中に消えたタンネさん」が白眉だが、この「巻き戻し」も原語自体が「早戻し」に代替された近年の作品ではなかろう。
h301.jpg  失敗ばかりの少年が時間を巻き戻す道具を与えられ、それに頼り過ぎて遂に赤ん坊と化して仕舞う筋立てはシュールだが、三幕交替の主役に自薦しながら落選した祐旭が如何なる役柄にアサインされたのか期待と不安を以て見詰めていると、漸く三幕に至り「巻き戻し」ばかりで良いのかと苦悩する主役への諫言とともに下手から唐突に飛び出してくる。
 シーンが換わると探偵物語の故・松田優作氏の翻案らしきタイムマシンを与える謎の人物と、幼稚園時代から九年の旧交を温める主役を従え、舞台中央での熱演が続く。更にはもうひとつの道具により冒頭の野球シーンまで巻き戻され、自力での打撃に挑む主役への声援に「会場の皆さん、応援して下さい」と壇上から語りかけるに至っては、平凡な白シャツがユニフォームの顔触れのなか却って目立ち主役を完全に喰っているではないか。
h302.jpg  しかも前日の児童間鑑賞用ゲネプロ段階では舞台上の役者に向けた鼓舞だったのを、当日差し替えた確信犯のアドリブで会場のどよめきを浴びていたのだから、祐旭のキャラクタを勘案して配役した教員氏の眼はまさに正鵠を射ていたのだろう。
 勉学多用のなか寸暇を惜しんで台詞回しに努めた尽力と天性の屈託なき表現力の賜物だろう。親として誠に誇らしき限り、妻は盛んに役者の道に進ませたらと薦められていたが、性格俳優として偶にピアノを弾いたりするのも良いではないか、と夢想することなく本人の今後に委ねたい。

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