コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月24日(土) 貴方はメロディメイカー  -音楽 - J−POP-

h269.jpg  一十三十一氏のニューアルバムを一聴して感ずるのは、詰まるところ琴線に触れるのは今般もまたクニモンド瀧口氏のコード進行が異様に難解にも拘わらずメロディは古の歌謡曲の如く自然に受容される楽曲群に留まり、全編クニモンド節の『City Dive』を超える佳作には巡り会えなかったと言わざるを得ない。 元よりシティポップのガイド役、入口としての一十三十一氏の功績は小さくなく、ノーナリーブスに取っ掛かりを得たのもまた氏経由に他ならない。
 ただ歌唱力というよりは寧ろ声質なのかも知れないが、一十三十一氏の適度に粘着性のある甘い響きが、同じ性向のある西寺郷太氏を必ずしも肯定的に受け止め得ないのは、個人的な嗜好の為せる業には違いないものの、男女の相違に起因するものだろう。
 寧ろ西寺氏において驚愕に値するのはその文章力ではないか。音楽に関する分析は、専ら筆者の体感に基づく随想か「坂本龍一全仕事」に典型的な矢鱈専門的で常人には到底理解不能な学術本に二分されるところ、氏のそれは体験を踏まえつつ楽曲の構造のみに留まらず社会背景をも勘案した"解説"になっている。更に特筆すべきは「噂のメロディ・メイカー」なる、Wham!楽曲の日本人ゴーストライター説を探求するノンフィクションと随筆の中庸の如くある逸品で、御当人も中で述べている様に結論が得られない、その過程の描写に留まる著名たり得てからの沢木耕太郎型手法は本来のノンフィクションの作法としては誉められたものではないものの、語り口がそれを補い謎解きが恰も探偵小説の趣きを醸し出している。
 元より音楽家としての力量に文筆わ、加味する必要は無いが、西寺氏が過去の楽曲の分析力に長け、大衆受けする楽曲を職人として制作し得る資質の持ち主であることはよく理解出来た。アルバムを何枚も聴いたノーナリーブスの曲そのものに些か食傷、と言うべきか厭きが来たのはメロディメイカーとしての本能が先立って職業音楽家に徹していたい証しとも言えようか。

h270.jpg  自身は年々衰える声に滅多にマイクを握らなくなった替わりに、また玩具として入手したYAMAHAのミニミニエレピreface CPを持参し、内蔵アンプ・スピーカーがカラオケの音量に耐え得るかを検証する。
 声変わり前の公資のルパン三世、雪の華と矢鱈と低く響く祐旭の世界の終わり、ゲスの極み楽曲が好対象を為しているが、二人とも相当な歌唱力に感ずるものの校内でも特段秀でた存在ではないらしい。幼少時から音階を伴う発声機会の絶大に増えた現代の若人にとって、耳から口に掛けての音階の観念はひと世代前とは全く様相を異にしており、12音階に紐附けた絶対音階として耳から手に降ろす感覚と既に大差無いのかも知れない。

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