コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月23日(金) 江川と掛布  -スポーツ - 読売ジャイアンツ-

h267.jpg  原監督の「勇退」が正式発表される前からスポーツ紙を賑やした後任江川氏の報道には心踊らせていた。結論から言えばそれは恐らくは営業サイドの願望が齊した観測気球に過ぎず読売新聞本社は端から高橋新監督への禅譲が既定路線であり、だからこそ既に今年から兼任コーチの肩書を賦与して不測の事態に備え、現にその事態が到来して恰も大相撲の親方に二枚鑑察が許されない様に、現役引退の代償を払ってなお監督の座を選択せざるを得なかったのだろう。
 神宮の星だった高橋選手が入団時、ヤクルト逆指名を望みながら渋々巨人入りを余儀無くされたのは実家の借金の人身御供故とも揶揄されたが、結果として三宅大輔、水原茂、藤田元司と断続的に続く、阪神の早稲田に呼応する慶応閥の巨人の系譜に連なったのは、当人の野球人生において幸福であったか否かは別としても、王道の帰結であったとは言える。
 折しも阪神には金本監督が誕生し、奇しくもセ・リーグの監督は全員が私と同年若しくは年下になるという世代交替の波にも合致していよう。
h268.jpg  それでもなお嘗て職業野球がわが国の文字通り「国技」が如く地位を占めていた時代に、その勝敗に一喜一憂するスタアであった江川卓氏のユニフォームをもう一度見たかったという想いは打ち消せない。それは江川氏のライバルであり、ともに30代前半で早々にグラウンドを後にした監督こそ叶わずとも二軍監督として復帰するとの報道によって倍加したとも言えよう。
 愛知県に幽閉された八年間における最大の利点は84年オールスター、今は亡き中日球場で見た江川投手の八連続奪三振だった(写真)。既に百球肩と揶揄されながらイニングの限定されたオールスターでは怪物の面影を発揮し、にも拘わらず九番目の打者大石の三球目にカーブを投げて江夏に並び得なかったところも実に江川らしかった。
 横浜がラミレス新監督を迎えた様に、江川監督ならば時に茶目っ気の如く肩透かしを織り混ぜながら魅せて勝つ野球を展開してくれるのではないかとの淡い期待は、どうやら永遠に夢と消えそうである。

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