コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月4日(金) Respect & Inspire  -ニュース - オリンピック総合-

h173.jpg  「青い珊瑚礁」を「ビーチタイム」の歌詞で唄うのか、或いはその逆かは定かで無いが、剽窃とはそんなものではないかと論評した政府高官がいたらしい。それでもマドンナの「Papa, don't Preach」をアレンジも踏襲して一部コード進行だけを入れ換えたレベッカ「Moon」の弁解の余地の無い同一性に対比すれば、冒頭の例にはまだ偶発性が働いたと類推される要素が認められようではないか。
 ただ被当事者の受け止め方に左右されるセクシャル・ハラスメントと同列に扱うべきかは別として、例えば槇原敬之氏に松本零士氏が挑んだ「裏切り」論争の様に当事者相互の動静に明らかな犯意とその根拠が認められなければ、客観的な相似性から剽窃の有無を判断する他は無かるまい。
 だからと言ってオレンジレンジの「ロコローション」の様に著作権が書き替えられる迄に酷似していれば話も早かろうが、アレンジは似通っていても楽曲としては必ずしも同一とは聴こえ難いGハリスンの「My Sweet Road」に潜在的な盗用との判決が下った例に倣うとすれば、最早1オクターブを12分割した西洋音階の世界のバリエーションの限界すら想起せざるを得ない。
h174.jpg  デザインの世界においてもまた、取り分け丸三角四角といった構成要素が事実上限定されていれば、自ずと故意か過失かを問わず外形的には盗用と看做されかねない類型も生じようし、煎じ詰めれば凡ゆる芸術は模倣に端を発すればこそ現在が存在するとも言えよう。従って、今エンブレム問題が最終的に当該デザイン以外の、責任者の人品骨相まで対象とする些か三面記事的な興味に溢れたのは多分に勇み足だったかも知れないが、少なくとも同一人物の他事案を以て犯意を類推すべく結論を導き出したのは、神学論争の本旨を回避するひとつの知恵だったのではなかろうか。

 出向時代には三人で中盆三皿を注文して入れ替わり立ち替わり店員が確認に来た四川飯店の陳麻婆を数年振りに戴く。
記憶よりは辛さが抑えられている感もあるが経年劣化した胃腸にはそれなりの刺激である。次回はこちらも出向時代定番だった、今や新装なったカレーのタージも再訪してみたいところ。

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