コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月16日(木) 外交とは形を変えた戦争の継続  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

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替わりに赴いた伊王島(長崎)
 戦争とは他の手段を以てする政治の延長であるとすれば、恰もキングギドラの首が身駆を宇宙へと連れ果てるが如くに、日露戦争時には機能していた外交力が軍事をコントロール出来なくなったのが戦前のわが国の蹉跌だったのだろう。それでも戦後間も無くにおいて幣原、吉田、芦田と外務省出身の総理が連なった様に軍事力を失ったからこそ再び檜舞台に躍り出ながら、結局軍事力の裏付けの無いハンデに経済外交の伸展とが相俟って、外交官は儀典イメージを色濃く装う存在と認識されている。
 元より相手国に対し自国の国益を主張すべきところ、取り分け経済基盤が確立されわが国からの経済支援策を必要としなくなった近隣亜細亜諸国に対しては、過度の贖罪意識の発露が恰も木乃伊取りが木乃伊と化すが如くと言えば失礼かも知れないが、相手国の立場を尊重する余りに事勿れ主義に陥っている嫌いは否めまい。
 今般の産業遺産認定にあたっても「徴用」の解釈における玉虫色の決着以前の問題として、会議当日に至ってなお事前の合意を覆す行為が国際社会に如何に受け止められたかは別として、わが国外交の弱腰もまた印象付けられたであろうことは国益を毀損しかねない段取り不足、或いは非積極性を露呈したと言えよう。
h117.jpg  翻ってみれば産業遺産として国際社会に是認されるという事実は明治期のわが国の歩みそのものの、歴史認識において他国からの評価を求めるべきかの是非は別として、肯定と受け止められよう。だからこそ過敏な反発を喚起したのだとしても、当然それは1910年代以降の遺産を否定するものでもない。
 ただ八年前に長崎を訪れた際、丁度出港直後で地団駄を踏んだ軍艦島は過剰に象徴的だとしても、遺産の顔触れを眺めれば殖産工業期が第一次産業と第二次産業の架け橋であったことは一目瞭然であろう。勿論幾つかの素材産業はより近代化された形で今も経済価値を持ち続けているが、多くの国策企業は英国の如くに緩やかに下り坂を踏み締めつつあり、だからこそ歴史と伝統の証しとして産業遺産たり得たのだろう。
 言わば山本昌投手に準えるのは極論としても谷繁監督兼選手擬きのポジションであって、産業としては遺産として床の間に飾られず現役バリバリであり続けるのが本旨なのかも知れない。

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