コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月7日(火) 藪の中

h122.jpg  嘗て読売新聞の務台光雄氏が「白紙でも売ってみせる」と豪語したエピソードは、同紙の販売網の強靭さを示すとともに、報道の中身という本丸よりも広告を含めた前線の過度の突出を揶揄する二つの側面から今も語り継がれている。
 単純な置換は避けなければならないが、政治においてその対比は俗に政策と政治という言葉を以て代表され、更に著しく単純化すれば政調と国対という二つの部局の対比に現れる。
 国家運営において政策の有り様の重要性は論を待たない。しかしながら幾ら有用な政策であっても声ある声に支持され具現化されなければ画餅に終わる。従って両者は密に手を携えなければならないが、前者は理想を追求し後者は現実の調和が優先されるから根本原理としては相容れない。
 嘗て私は永田町周辺居住者として、その政調の側に近似していたといって良い。ただ中央官庁との折衝を主務とする部局において、国対に当たる他の部局との狭間にあるそのポジションはよく言えば政調と国対の潤滑油と見做されようが、現実の永田町においてそのセクションが存在しないことからも判る様に、盲腸の如くに過ぎなかった。
 そして私は国対擬きへと配置変えになり、やがて政調と国対との合併後紆余曲折の後、結局国対サイドを基盤に何故か院内ではなく党本部に居を据えているに近い。敢えて再び比喩に隘路を求めれば、軽い発作を経て盲腸は除去されたのである。
 それでもなおふと時たま、あの盲腸は今もなお私の中に蠢いているのではないかとの郷愁に囚われることがある。盲腸で分解し切れなかった何かがまだ染み出しているのではないかという錯覚と言ってもよい。
 本来峻別の明快な政調と国対にこのたび業際が生じたのも逆説的にはその傍証かも知れないが、結論は「羅生門」状態のままに元の鞘、国対が預かることになったことに鑑みれば、盲腸は端から存在しなかったという歴史認識が改めて確立されたとも言える。
 自ら盲腸の真の告別を執り行うべきなのか、合口として突き付けられてなお、万年国対副委員長に答えはまだ見えない。

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