コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月22日(水) あの夏の日  -音楽 - J-POP-

h13.jpg  伝統的な演歌よりは革新的であり、台頭するニューミュージックよりは保守的なグループサウンズが70年代歌謡曲のひとつの源流であったとしても、90年代に入ってなお友人とレンタルCDを漁ってせっせとGSの名曲をダビングしていたのは奇異な嗜好に違いないし、明確に自らの音楽遍歴のルーツ探しを意図していた訳では無い。
 ただ改めて振り替えれば"ジュリー"沢田研二氏を筆頭とする歌謡界のフロントマンとして生き残った残党勢力に留まらることなく楽曲製作においてもその影響力は看過出来ず、まさに代表例が加瀬邦彦氏であったと言えよう。取り分けスパイダース創設に携わり、寺内タケシ氏のブルージーンズを経たGS最初期世代でありながら、最期まで作曲家であるとともにワイルドワンズのリーダーのポジションを貫いた姿は、GSを更に遡るロカビリー期からのバンド主宰者の多くが後年、マネジメント能力を活かしてプロダクション経営という純然たる裏方に舞台を移す中では寧ろ異質だったろう。
 加瀬氏の退場はGSの時代の終焉を象徴するのみならず、病苦とはいえ自裁たる共通項を以て語ることが適切か否かは論を待たなければならないが、加藤和彦氏のそれを彷彿とさせる。加藤氏の如く音楽の将来に絶望を抱いたのかどうかは判らない。しかしながら加藤氏も加瀬氏もフロントマンでありながら、スター性の高い実演家を擁立して自らの音楽嗜好を広く万般に伝播させるプロデューサー的な側面に長けており、それは小室哲哉氏やつんく氏等による「音楽プロデューサーの時代」の先駆であったのかも知れないが、彼等はそれをパーマネントなバンドを率いる形で具現化していた処に特筆性があろう。
 1985年に最初の復活を遂げた際、一夜限りながらサディスティック・ミカバンドの二代目フロントマンとなったユーミンは、メンバー紹介において加藤氏をボーカルでもギターでもなく「バンマス」と称していた。今や打ち込み全盛により複数実演家による同時録音が減少するに留まらず、音楽グループそのものが流動化し縦しんばバンドを名乗ってもサポート・メンバーの参画を前提としなければ楽曲の再現を可能としない、ドラム、ギター、ベース、キーボードといった構成要素を欠いた編成が常態化している。
 この点からもアイドル性の要求から加入し再結成後は参画を見送った渡辺チャッピー氏こそあれ都合半世紀近くに亘り四人のメンバーを維持したワイルドワンズとともに、バンマスたる存在もまた終わりを告げるのかも知れない。

 「ソフト麺において」との発言に接し、学校給食における米国主導パン主食からコメ回帰に至る過程に位置したカレーうどんの意義、という食糧安全保障の論議だったかと一瞬錯覚したが、ここは国土強靭化。
 正しくは「ソフト面において」。

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