コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月21日(火) 黒いものを白と言わない  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

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在りし日のTBR、左は旧キャピトル東急
 三権の長の中でも長老の指定席たる衆参議長は嘗ては強行採決の代償として法案と引き替えの詰め腹ケースもままあったが、高齢故の病気辞任もまた少なくない。
 町村議長も会見を拝見する限り凡そ議長職が勤まらない程の重篤な症状とは伺えなかったが、総裁選からの途中離脱に続く派閥会長の座を明け渡して勝ち得た栄光のポストからの僅か四ヶ月での退場には忸怩たる想いがあろう。
 ただ清和会会長の細田博之氏への移行は、嘗て政策科学研究所の渡辺美智雄会長への代替わりが櫻内義雄氏の衆院議長就任とともに漸く成立した様に、実質的には安倍派への衣替えであったとしても伝統的な派閥継承の慣行に則っていると言える。
 1956年の第一回総裁選をその端緒とする自由民主党の派閥は、総裁候補を持たない「中間派」が徐々に先細り、72年の田中角栄・福田赳夫両氏による所謂「角福戦争」により整理再編され、何れも後に総理総裁たり得た派閥第二世代「三角大福中」五大派閥に収斂して、派閥とは総理総裁を目指す領袖の旗の下に集まるものとの定義が改めて是認された。 即ち本来は派閥とは領袖の浮沈と命運をともにするものであったが、第三世代への移行以降、派閥の継承が常態化し寧ろ代表者を集団の利益代弁者として掲げる、派閥の組織化が深化したと看做すことが出来る。それでもなお中曽根康弘氏の総理在任中とリクルート事件に依る離党時の二度に亘り中曽根派会長を勤めた櫻内氏が「何故櫻内派と呼ばないのか」と憤慨して見せた様に、或いは竹下総理在任時の経世会が金丸会長であっても、小渕総理在任時の平成研が綿貫会長であっても、マスコミはオーナーとも言うべき真の実力者の名称を以て派閥表記を定め、御丁寧にその旨注釈を紙面に掲載していた。その解釈に則れば大島派乃至は旧大島派であっても差し支えないにも拘わらず山東派に改められたのは、小選挙区制導入以降の派閥の流動化を如実に代弁していよう。
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在りし日の赤坂プリンス旧館内
 勿論、派閥解消を唱えて自ら八日会を率先して解散し、現在に至る清和会としての再結集が遅れたが為に現職総理にも拘わらず総裁選敗北を導いた福田赳夫氏のDNAに由来しよう小泉純一郎総裁による派閥離脱の申し合わせの総裁から党三役への拡大も大きく寄与しているが、今や派閥は雇われマダムであっても会長職という形式要件に依拠する、単なる党内組織に陥落したとは言えまいか。裏を返せば代表者を一本釣りすれば容易に総裁の意向で派閥の構成を変更せしめ得るし、今や最も派閥らしい派閥とされる志師会が二階氏の党総務会長就任においてなお会長職を空席として河村会長代行に留めているのは逆説的に象徴的であろう。
 大島議長就任のもうひとつの余波は、総理すら諌めながら些か古風かつユーモラスな名奉行振りを発揮した予算委員会の新たな風物を味わえなくなることだが、同時に党東日本大震災復興本部長職も退任となる。
 自民党本部五階に掲げられた、「大島部屋」の看板は、相撲博士・元大関旭國から受け継いだものではないようだが、来るべき再興の日に向け是非旭天鵬関に譲って戴きたい。 日頃永田町を回遊している煽りか、会社に居を据えると集中的に来客をこなす羽目に陥るが、流石に突発含め六連発、その間に取り零しもあり御詫び申し上げていては目が回ってくる。 おかげで分不相応に役員応接を独り占めしているのは多目に見て戴こう。

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