コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月15日(水) 夕張のことも夢のまた夢  -政治・経済 - 選挙-

h6.jpg  嘗て泡沫と一緒くたに扱うのは躊躇われる程に、必ず掲示板に名を連ねる選挙の風物詩とも言うべき候補者が居た。代表的なのは数寄屋橋に立ち続けた赤尾敏氏であり、性同一性障害というよりは"オカマ"の呼称が似合う東郷健氏だろうが、供託金という対価を払って自らの主張を伝えるという意味で、たとえ当選してバッチを付けるには到底覚束無くとも、彼等は政治家であったと言えよう。
 かの羽柴誠三秀吉氏をどう評価すべきなのかは棺を覆いてなお解らない。金持ちの道楽だとしてもドクター中松氏やマック赤坂氏ほどには大尽では無さそうだし、売名行為ならば充分にその目的は果たしているが、知名度の向上が事業に大きく寄与したとは思い難い。ただ2007年には財政破綻後、引き受け手が危ぶまれた夕張市長選では348票差の次点まで迫っており、発端は自己満足だったとしても継続は力なりを一定程度実証したのは事実だろう。
 盛り上がらなかった今統一地方選においては投票率の低下がなお憂えられているが、より深刻なのは全体の三割にも至るとされる無投票の増大であろう。地方議員の属性が嘗ての名望政治家、即ち功成り遂げた素封家が地域社会への奉仕活動としてその任を授かるものから、職業政治家へとシフトしていったのはやむを得ないとしても、たとえ国政へのステップであっても地方政治への参画を企図する候補者そのものの減少は由々しき事態に他ならず、それは現職の代替わりや国政の選挙区事情を反映した政党間の代理戦争が勃発する地域だけが妙に激戦で、その周囲は現職の無投票だらけという極端な構図に如実に表れている。
 加えて現実路線なのかコスト面からの成約なのか共産党が候補者を絞りつつあり、実質的には信任投票と独自の闘いの同居であったとしても、投票用紙に名前を自書されることにより附託を得るという「代議」たる通過儀礼を経ていない政治家の増加は、有権者の政治への関心の低さの体現であると同時に更なる無関心を促進させかねないという意味で深刻である。
 だから羽柴氏の如く存在にも意義があると短絡的に結び付けることは出来ないが、長期雇用というわが国社会の特色とその帰結としての政治への高い参入障壁を如何に調和させるべきか、その問題提起を喚起させるという点において、特異なキャラクターの退場には弔意を表したい。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kayukawa.blog41.fc2.com/tb.php/3205-ec408533
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad