コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月9日(火) 私がオバさんになった  -音楽 - J-POP-

h4.jpg  松田聖子氏という素材がアイドル歌謡にニューミュージックの要素を注入させ歌謡曲そのものの構造変革を招請したとすれば、従来のアイドルという存在そのものを戯画的に体現してみせたのが小泉今日子氏の「なんてったってアイドル」であったと言えよう。
 その解釈に則ればノベルティ・ソング的なコミカルな歌詞を自ら誂え、アイドル歌謡とアイドルという商品を更に止揚再構築させたのが森高千里氏だったのではないか。
 70年代以前のアイドルは年齢を重ねてなおアイドルであり続けることは許されず、芸能の世界に生き残る為には俳優に転向を図るコースしか用意されていなかった。これに対し結婚、出産を経てなおアイドル歌手であり続ける道を切り拓いた松田氏の功績は小さくない。ただその松田氏においてもスキャンダルの影響もまた否定は出来まいが、40の坂を越える頃には第一線を退きディナーショーの似合う昔ながらの、失礼を顧みないレッテルを貼り付ければ「営業歌手」の領域に入った雰囲気は否めなかった。また小泉氏は「あまちゃん」において対照化したアイドルを更にセルフパロディとして演じることで久々に歌手として復帰を果たしたが、これはアイドル歌手の復辟ではなく、松田氏のディナーショー同様に嘗てアイドル歌手として一斉を風靡した人物が懐メロの提供を以て生産力を継続する手段のリニューアル・バージョンを示したのに過ぎず、歌唱力に乏しい小泉氏だからこそ言わば70年代アイドルにアイドルのままに生き残り得る世界があったらという、もしものコーナー的な風刺が成立したのだろう。
 であればこそ歌手活動こそ小泉氏同様に現役であり続けて来たとは言い難い森高氏の唐突な復活には、山口百恵氏の様に古式ゆかしい日本的な夫唱婦随を礼賛する向きからはスワ夫婦仲はとゴシップ的な邪推に及びかねないが、WOWWOWのライヴ映像の放映に接して感想は、月並みだがいたく驚き以外の何物でも無かった。
 勿論ミニマル系の皿回しアーティストと組んだりジャズ・アレンジを用いたりと現代風の味付けを擁しているが、基本は過去の楽曲であり新たなファンを産み出すよりは嘗てのフリークに向けた活動に他ならない。にも拘わらず懐メロと言うよりは40代後半の現役アイドルたる新しい姿が眼前に現れたが如く感慨に囚われるのは何故かと自問して辿り着いた答えは、些か唯物的だがその美貌の為せる業に違いない。
 MCを伺う限り喋り方など充分に一般的なおばさんの要素が見受けられるにも拘わらず、恐らくは復帰に向けて鍛練を経ての登壇であったろう劣化が認められない歌唱力の果たす部分も小さくはないが、アイドルであり歌手である現役感に実に満ち満ちている。
 寧ろ歌詞と歌唱に準えたのか幾分人口的な装いの強かった初期アイドル時代より綺麗になったと感ずるのは、流石に加齢とともにアイドル産業消費者の女性の好みも年相応に高齢化していくが故かも知れないが、これはアイドルの新しいあり方の提示に違いない。
 但しそれは詰まるところ誰しも具現し得る術ではないということである。世の中所詮は容姿、と片付けている訳ではないのだけれど。

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