コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月5日(木) もう、きみには払わない  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g966.jpg  1948年制定の政治資金規正法に初めて政治寄附の規制が設けられたのはロッキード事件の後、参院で可否同数のうえ議長裁定にて決した劇的な75年改正であるからその歴史は長らくはないが、政党助成金の導入以降度重なる量的規制の追加により法人による寄附には著しい制限が課されてきた。
 確かに個人寄附は伸び悩んでいるが、寄附文化が巨万の富を有する篤志家の存在を以て初めて成立するとすれば、逆説的にわが国の格差の小ささの証佐として喜ぶべき事態であり、悪戯に法人による寄附を白眼視すれば政治へのよりブラックなマネーの流入を涵養しかねないという批判も成り立とう。
 一方で規制には質的なそれも存在し、法人においては赤字企業、補助金受領企業、外国法人の寄附の禁止がこれに該当する。問題はこれら禁止法人の峻別が直裁な法解釈からは到底導かれないことだろう。例えば三期連続赤字とあるが単純な営業赤字ではなく資本の毀損に至る欠損を示すとされており、かく倒産しても不思議で無い状態に陥れば禁止される迄も無く寄附を控えるのは道理だろう。
 より複雑なのは補助金の扱いで、試験研究、調査、災害復旧に関わる物は除外とある時点で大半は該当しなくなるが、曲者は後段の「その他利益を伴わない」の内訳である。即ち補助金が、利害得失に依る判断においては直ちに実施されないであろう公的な政策目的の追求を企業に代替させる為の誘い水であるならば、当該事業を中途で店仕舞いして補助金をポケットに入れる様な悪質な事態でない限り、論理上利益を伴うことはあり得ないとの帰結が導き出されるが、これを条文から読み取るのは至難の業に他ならない。
 だからと言ってその前段階で、補助金の存在を事前に知覚していなければ受領側は無罪放免との当初乱発された逃げ口上は、第一に嘗て問題視された永住者等の外見上国籍の見分けが付かない外国人からの寄附が受領側に帰責した経緯との整合性が取れないし、寄附行為側に拠証責任を転嫁することにより難解釈という法の不備に議論を踏み込ませない姑息な弥縫策と言わざるを得ない。
 たとえ擬制されたものであっても法人が固有の権利を持つ以上、法の範囲内において自己の意志に基づき寄附行為を行うのは随意であり、単に自由と民主主義の健全なる発展に資するのみならず、多様なアクター間の利害調整たる多元主義の世界において主導サイドたり得ない民間のバーゲニング・パワーとして正当化されて然るべきであり、その調整弁として量的規制もまた存在するのだから、堂々順法行為として受領して戴きたい。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kayukawa.blog41.fc2.com/tb.php/3186-69b41444
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad