コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月18日(日) 一票の格差  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g931.jpg  振幅の著しい小選挙区制において二回連続で惨敗を喫した政党は大幅なチェンジ・オブ・ペースを謀るのが包括政党の知恵たろうが、忖度するだに支持母体への配慮も存分に垣間見えよう野党再編よりは純化路線を選択せざるを得ない処に野党第一党の苦悩が伺われようか。
 事前には統一地方選を前に取り分け地方票の細野氏優勢が盛んに伝えられたが、蓋を空けてみれば昭和31年、自由民主党第一回総裁選の、二三位連合に依る七票差の大逆転劇に倣うには及ばず結末は半ば予定調和で、三位票が二分されて接戦が演じられたのも却って演出の匂いが漂いかねない波瀾無き大団円であった。
 空っぽの投票箱の確認手順が恰も場末の手品師の如く映るのは思想の左右を問わないが、僅かに投票者の読み上げが「さん」付け呼称であるところに平等を重んじる保守中道政党の特性が慮られよう。登壇者が少ない分決戦投票に及んでも展開が思いの外早かったのは数多からぬ招待席には好都合だったのかも知れないが。
 しかしながら密かに注目を集めたのはたったひとりの国政選挙予定候補者氏ではなかったか。総選挙を経たばかりで参院選まで一年半の段階で支部長に事欠くのは致し方ないとしても、問題は代表選挙のシステムである。例えば三票かつwinner takes allの組立てが小泉圧勝を斎したとされる2001年自民党総裁選宜しく、地方票の換算が死命を制する恐れこそあれ、現職の二票扱いに対する候補者の一票は明らかに大勢に影響を与えない員数外に留める意図に他ならない。
 であればこそ予定候補者氏が誰に一票を投じようとも何等の関心も払われずして然るべきにも拘わらず、ひとり立ちであるが故に稀少な奇数ポイントの帰趨が誰の眼にも明らかなのである。仮に予定候補者が名の知れた人物であったとしたら唯一の事実上の記名投票の是非が問われたかも知れず、超法規的に二票扱いとする方便が得策だったのではないか。
 それでも規定を貫く原理主義から再興を図るという強い決意の表れと、国民は受け止めるべきなのだろうか。

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