コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月15日(月) 三百代議  -政治・経済 - 衆議院選挙-

g903.jpg  消費増税の繰り延べたる大義名分を備えたとはいえ党利党略の謗りは免れ得まいとの読みは振り返れば些か情緒的に過ぎたのだろうか。そもそも総選挙とは押し並べて与党にとって最適なる時期に作為的な判断を下すもので、過去二回の任期満了をも視野に入る程の追い込まれ型こそが異常という冷徹な論理に立ち返れば、反論は赦されないのが今般の結末の示すところだろう。
 確かに公示間もない大勝報道のアナウンス効果は自民の比例票を一定程度減少させたろうし、愛知の互助会に加盟した角番大関宜しき8勝7敗の様に元来幾分の苦境を予測された地域には逆転をも齊した筈である。
 それでもかの「死んだふり」86年ダブルの、経済状況が芳しければ与野党等しくの準備不足はストレートに与党有利に働くという記憶が選挙制度を超えて再生され結果、最早野党には極端に追い風を受けた大逆転に預からなければ過半数はおろか接戦を演ずる展望すら喪わしめたのではないか。
 前回人気を博した「第三極」が共倒れした教訓は、維新の分裂が石原次世代を半ば泡沫に追いやり、みんなが解党に至る中で、この短期間においても民主・維新の二代野党にある程度の候補者調整を具現させるだけの危機感を与えていたが、結果的には乱立しようともしまいとも与党第一党が300議席近くを獲得する構図には何等の変化も無かったのである。
 翻れば05年の郵政選挙、12年の政権交代とわが国は三度に亘り「熱い」選挙を経験し、だからこそ振り子が振れる様な著しい議席の集積を齊したと錯覚していたが、候補者の多くが政権復帰に至る前回の様な有権者の好反応を実感出来ないと述べる消極的選択であっても、中庸に回帰することを小選挙区制は許さないという帰結を我々は得たことになる。
 既にアベノミクスは第三の矢の実効性を問われることなく、円安とマネタリズムの齊した大企業の内部留保を投資よりはマネーの循環に充当すべしとの、日本共産党に相通ずる論理に満ち溢れている。それが本当に地方の再生に寄与するのか、代議を地域の中核企業の利益代弁者に化さしめるだけではないのかとの疑念を抱きつつ、更なる安定政権に直面する経済界はこの新たなる経済理論を静かに受け入れなければならないのだろう。

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