コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月27日(木) いつもの様に幕が開く  -政治・経済 - 衆議院選挙-

 事務方の唯一ではないが最大の責務はフロントに立つ役者陣のハンドリングである。勿論座付き演出家も偶には舞台にも上がるものの美しく、余りに美しく言えば先ずコントロール・タワーに徹しなければならない。
 しかしながらタワーを僭称するのも烏滸がましい地平スレスレから電波を発して凡ゆるスターがコントロールに浴すとは限らないし、千秋楽まで走り続けながらの自転車操業だから柿落としを迎えてもシナリオの変更は日常茶飯事である。しかも興業先とその日程まで含めた著しい変更が訪れると、フレキシブルな対応と言えばそれまでだが段取りを組む事務方としては溜まったものではない。
 ただ考えてみればスターありきの芝居、就く木戸銭を集めるスターこそが一座の幹部なのだから、なまじ調整の労苦を察して興業そのもの効用を減じる様では元も子も無い。寧ろ意図的か天然かは定かで無くとも事務方の人的コストに何等思いを馳せず合目的性からのみ判断を下すのが指揮官の羊蹄であり、なまじ事務経験に乏しい程、事務官の労苦に囚われず幾将功成りて千骨枯る勝利を導くのだろうか。
g889.jpg  元より物分かりの良い役者と従順な裏方、そして逐一指令を下さずとも自発的に立ち回る有能な演出助手が数名揃えば通し稽古までスムースに辿り着けようが、往々にして自発的過ぎる役者と操り人形が如く細かな振り付けを要する事務員と、果てはスター然として床の間にしか座れない裏方擬きの揃い踏みで下士官演出家は途方に呉れるのである。
 それでも突発的な事態の発足に恰も何事も無かった様に乗り越え芝居を続けてこそ一座の結束も高まろう。今公演はまだ始まったばかりである。

 マニフェストの名がわが国選挙に踊り出したのは21世紀に入ってからだが、民主党の大勝した2009年選挙がブームのピークだったろう。
 結局民主党政権は自ら掲げたマニフェストのよく言えば意欲の空回り、蓋を開けて見れば具現化に及ぶべくも無い夢想の山積に、政権を明け渡してなお自縛され続け、各党ともその反省を踏まえて今般は現実性を重視した項目の羅列に回帰している。
 確かに白紙委任ではなくとも政権を委ねた四年間は一定のフリーハンドを国民は政権政党に与えるべきであり、oの文字を末尾に付したマニフェストゥも古式ゆかしい「公約」の鞘に収まったということか。公約は口に甘くも苦くもなくていい。

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