コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月22日(土) 預言者の末裔  -音楽 - 楽器-

g880.jpg  既に高度成長期のサラリーマン宜しく週休一日の臨戦体制だったが、いざ解散して仕舞えば二年前の経験則からも、投票日までに一日は休みを作ろうと自己管理を施す他はない。
 それでも助走期間の今日は午後半休を企み、当然誰に了承を求めるべくも無い事実に直面して感覚の麻痺に苦笑せざるを得ない。

g881.jpg  「国内最大の楽器展」を謳う楽器フェアなる存在すら初耳だったし、そもそもお茶の水やら新宿やらに出向けば大概の市販楽器は対面のみならず試奏も叶うのだから、わざわざ臨海副都心まで足を運んで混雑を掻き分ける必要も無い。
 にも拘わらず到来したのは「YMO楽器展」の名に踊らされたからだが、結論から言えば予想を少しも上回ることも無い企画に過ぎなかった。
 確かにワールドツアー時の楽器群が居並ぶ姿は感慨を誘う絵柄には違い無く、来訪を見送っていれば幾ばくかの後悔は去来したかも知れないが、現実には夭逝した音楽家の親族がデモテープすら商売の種にするかの如きと言えば些か口が過ぎるだろうが、トークショーとして登壇した関係者がYMOのエピソードを述べるとの大義名分を傘に、如何に自らがYMOのメンバーと親しいか、親しかったかを誇示し合う自慢話は、遺産を貪り食うハイエナの様な寒々とした光景にしか映らず辟易とせざるを得なかった。
g886.jpg  壇上に所狭しと機材を並べた初期YMOの姿が音色やデータの切り替えに時間を擁した往事の制約に起因するのは言う迄も無いものの、逆に空中のチューブの中を流線型の異動体が疾走する未来絵図宜しく新奇性とともにYMOの代名詞となった点は否めない。実際中後期には技術の進歩とともに機材自体もシンプルかつコンパクトになっているが、ならば現代においては積層されるキーボードを廃して、一台の鍵盤を中核にドラムの一部と小振りな弦楽器までパッケージにした「ひとりYMO」セットが現れないだろうと夢想してみたが、その発想はサンプリングを主体にボタンだらけのDJ機材が代替しているからこそこうした需要は全く産まれないのだろう。
 YMOのステージもまた音楽の再現性が相当程度演奏家の肉体と技量に左右された最後の時代の歴史的遺物として、「楽器展」に納められる存在と化したのだと受け止めておこう。
 勉学に勤しむ祐旭を残して公資との二人旅だったが、サックス、太鼓、ピアノにキーボード、果てはテルミンに到るまで公資が親しんでいたのだから1500円程度の価値はあったのではないか。

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