コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月18日(火) 保守党の解剖  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g868.jpg  自らが何時から政治評論家、就く主たる研究対象、派閥を僭称するに至ったのかは定かでない。ただ既にものの本を紐解き始めた時分から派閥研究者における古典的文献が、かの渡邉恒雄氏の若き日の手に依るものであることは世に轟いていたと言ってよい。
 昭和33年版の当該書籍は長らく絶版であったが、この度復刊の運びに至ったとあれば政治評論家においては必読であろう。
 しかしながら一読して感じたのは、取り分け前半の概説部分の取って付けた様な印象であろう。勿論、近衛十四郎氏は松方博樹氏にそっくりだねとオリジンとその複製の順序を混同しかねない様に、原本の分析が普遍的で後世に引用され過ぎたが故に、恰も陳腐に映るきらいは否めない。
 ただそれ以上に、後段の各派の個別事情が余りに微細に亘っており研究者魂をそそられたが為余計に、前段のボリュームに比類しない平板さが有り体に映ったが、その疑問は昭和39年の改訂二版をわざわざ大枚叩いて古書店から入手して、前後半が逆転している構成に接して粗方氷解した。
 恐らくは若き日の渡邉記者も同時代の眼から見た事実の詳述にこそ羊蹄があり、かのオーラル・ヒストリー同様に歴史の生証人たるを以て、解釈は後世の研究者に委ねるべきとの見解に至っていたのではなかろうか。
 現実には氏が師事した伴睦氏の大野派と当時の最中核、総裁派閥たる岸派を除けば、遥か後塵を拝する私が如きを以てしても鱗が落ちる程の新事実には廻り合わなかったが、派閥が選挙と政治資金という現世利益と別ち難く存立する以前に、総裁候補を担ぎ上げるべくこの指止まれの論理をもとに形成され、だからこそ同時に政策集団の側面をも色濃く有していた時代において、その存在が必ずしも肯定的だけでは無かったとしても受容されていく端緒の姿は彷彿とされたと言えよう。

 昭和47年の角福戦争総裁選を期に三角大福中の五派閥に収斂され全盛期を迎えた派閥は、同時にその固定化が進み株式会社の如く領袖の代替わりが行われ組織としては確立されたものの、小選挙区制の導入以降急速に形骸化が進んでいく。
 ただここに来て二階、石原の両派合流論が浮上してきたのは、ひとつには既に議席も派閥会長の地位も後進に譲り渡したもののなお隠然たる影響力を有する退役世代をも交えた派閥再編成の萌芽と見ることが出来る。
 即ちひとつには頓挫した麻生、大島両派の同じく合流論も含め福岡における三巨頭間の勢力争いもまた寄与していようが、広く捉えればポスト安倍乃至は反安倍の新たな勢力図を、派閥流動化の象徴たる無派閥という名の石破グループとは全くの異相、血の結束を謳う古式ゆかしい派閥の論理から描こうとの思惑に基づいているのではないか。
 資金とポストの配分機能を大きく喪い、派閥解消を唱えた福田赳夫総裁がその代替として自民党本部八階に設けたリバティ・クラブ宜しくサロン化を余儀無くされた派閥は、中選挙区時代の選挙区内における党内闘争という軛から逃れ失った存在意義を逆手にとって合併再編の自由を得て、自民党一強期の党中党として再び政局の主役の座に返り咲くのだろうか。

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