コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月5日(水) あの人は今

g876.jpg  例えば売上や生産性の向上といった、目に見える数字で成果の表される実業の世界と異なり、影響力の行使が政策の誘導を通じて経営に寄与するのならまだしも、被害の拡大を未然に防ぐリスクヘッジの効用ならば、恰も直接の戦闘行動を回避する為の軍事力の価値が実感として認識され難い様に、日常的な人間関係の構築の齋すバーゲニング・パワーの存在は、その職責を独立してロビイストと定義させるに至った米国社会においてなお、当該インナー・ワールドに足を踏み入れない限り肌身に感じ得ないものだろう。
 出向時代の盟友達と久々に近く入閣の呼び声も高い御仁を囲みながら、勿論生臭い話題には少しとして到らないものの、主役がひと度中座した瞬間に内輪同士の旧交暖まる懐古談に切り替わる。ただ思い出は美しいものの、現に永田町周辺居住者に留まる身の上には、紐解かれる記憶に纏わる登場人物と必然的に今に至るまで交友が持続されており、かつ必ずしも身分、所属の異動少からず世間だから、彼等の足跡を互いに振り返るだけで立派に情報交換の場としても成立しているのである。
 所詮、人間関係は個と個に集約されるとしても、常に桟敷席にかぶり付きながら時には行司が廻しならぬ観客のまま土俵に登りそうになる周辺居住者同士の横の連携は、力士や付き人との円滑な意志疎通にも寄与し、その一助となるべく情報流通の意義もまたそこに見出だされるのである。
 しかし余りにマニアックな情報だけに、嬉々としてそれを比瀝し合う光景に、ひとり取り残された若手秘書氏にとっては些か奇怪な光景だったのではなかろうか。
 程無く主役の復帰とともに通例の懇親に回帰しながら、再び内輪の二次会では又もやニッチな旧交に花が咲いた。それは職責として有用な時間である以前に、尖兵としてインナー・ワールドに身を染め始めた頃の二度と帰れない日々の香りを一瞬でも再び味わうことの出来る、馬車が南瓜に戻るまでのひと時だった。

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