コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月21日(火) こわれもの  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 ひと月半前、第二次安倍改造内閣が発足した際に、この事態を想定し得た人物が存在しただろうか。
 勿論、内閣改造とは多くの待機組には憤怒を、再任されなかった前閣僚には疎外感を与える割に喜悦するのは数少ない入閣者のみであり、前内閣がオールスター・キャストであっただけ余計にリスクの大きい試みであったのは事前に示唆されていた通りであろう。
 だからと言って凡ゆるスキャンダルの芽を最少の被害で乗り切ってきた安倍内閣にとって、政治とカネの問題が雨後の筍の如く到来したのは、マスメディアの反政府志向を割り引いてなお脇が甘かったと言わざるを得ないのではないか。
 確かに、わが国の伝統的な文化規範に鑑みれば支持者への手厚いもてなしや、儀礼の範疇にある贈答は寧ろ讃えられて然るべきサービス業の心得に他ならない。
 ただ良くも悪くも合理的な社会はこうした説遇を煩わしい虚礼として否定する傾向にあるばかりか、米国由来の杓子定規なコンプラアンス概念は、閉じられたインナー・サークルにおける濃密な人間関係とそれを基盤とする取引の活性化は奨励しても、広く社会万般においてはゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの形而的な移行を促していると断じても過言ではあるまい。
 にも拘わらず同時にゲゼルシャフトにおいてなお許容されている使途不明金的な潤滑油を、本来ゲマインシャフトの延長線上にある政治という世界において、マニア的に原理主義を気取るプロ市民に留まらず、マスメディアがこれを全否定する行動は、元より安倍政権下の二年間が主流・反主流のコップの中の争いにも乏しく「安倍後」を占う伝統的な政治部的記事に恵まれなかったからこそ内扮の種に飛び付いたのだとしても、それは社会部由来の一過性の事件記者たり得ても、政治と読者を媒介するメディアの役割のひとつを放棄する行為に結び付かないだろうか。
 しかしながら後戻りは出来ないだろう。願わくばコンプラアンスという名の亡霊がわが国に特徴的な良き紐帯を破壊し経済の活力までも奪わんが為に、打ちてし止まむ時の訪れんことを。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kayukawa.blog41.fc2.com/tb.php/3126-4baecdcb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad