コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月9日(木) ウイング過剰  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

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 御厨貴氏が火付け役なのかも知れないが世はオーラル・ヒストリー流行りである。政治家に限らずありと凡ゆる自叙伝の類は意図的か無自覚かを問わず当人に都合の良い解釈に満ち溢れているのが通り相場だが、逢えて質疑応答の形を採り趣向を凝らさず言葉のままに当該回答者の描いた世界を世に問い掛け、是非判断の解釈は別個の研究者に委ねるところにオーラルの意義があるのだろう。
 何分市民権を得たのが最近だからつい数年前でも古式床しい「回顧録」が幅を効かせているが、三年前の村山元総理の「証言録」は既にオーラルの体裁を持ちつつある。
 しかしながら頁を捲るに連れ、非武装中立・自衛隊違憲論のみならず大韓民国や原子力発電の是認といった戦後わが国の革新勢力の中核を担った筈の日本社会党の政策の一大転換が事実上、村山総理ひとりの手で為された経緯が審らかにされているのには、今更ながら心肝寒からしめられた。
 勿論、社会党崩壊の引き金を引いたに等しい自らの所業に伴う内面の葛藤を墓場まで持っていくという元総理の矜持なのかも知れないが、字面を追う限り多分に安易さが漂うのもまた否めない。
 ただ四年程前に刊行された河野一郎氏の伝記を手にして、こちらは著しく同時代性に欠けるにも拘わらず想像力にも逞しからず何故に今更編み出されたのか理解に苦しむ一篇ではあったが、日蘇国交回復の立役者たる河野氏が真に容共主義者であったのかは定かではないものの、滋賀県知事への初当選が非自民の枠組みだった武村正義氏ともども村山・河野洋平・武村たる顔触れの自社さ連立が中道・左翼政権であり、これに共鳴した河野家のDNA乃至はノスタルジアがかの河野談話を導いたのだとすれば、時代の仇花との位置付けでは片付けられない罪作りな政局であったという想いもまた禁じ得ない。

 個人的な好悪の別はさておき、今年も前評判のみに終わったノーベル文学賞の是非を論ずる程に村上春樹氏の著作には知識を有していない。
 しかしながら同じノーベル賞にわが国戦後憲法が候補とされたが如き報道に溢れたのは、如何な左向きのわが国マスメディアと謂えども流石に勇み足だったのではないか。
 そもそも戦後わが国の平和を担保したのは米国の核の傘の賜物であり、憲法九条は寧ろ本来国防に資するべきコストを経済発展に供与せしめた功績を讃えて然るべきだろう。
 即ち平和賞でなくノーベル経済学賞こそ相応しい、とは些かエスプリの効き過ぎた物言いか。

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