コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月8日(水) 月はどっちに出ている  -学問・文化・芸術 - 自然科学-

g854.jpg  2673年前の神武大帝即位より遡ること五代、皇祖天照大神に対しその弟君たる月読命の存在感は乏しい。それはアマテラス様が天の岩戸にお隠れになるという寓話、即ち太陽光の喪失が現世の豊穣に著しい災禍を齊す自然の叡知を逆説的に示唆しているのに対し、恒常的に満ち欠けを伴う月の視覚における有無に人間社会が特段の配慮を示さない事実と符合していよう。
 現に二年前の日蝕は小学生にして既に一大イベントと位置付けられ、偏向眼鏡まで調達し父もわざわざ出社を遅らせて屋根裏の踊り場から一家で鑑賞したが、今般の月のそれには何等の前触れにも預からず、会社を出た瞬間に道端に屯する同僚に促されて暫しのお月見と洒落込んだに過ぎない。
 実際、人里離れた漆黒の地ならばいざ知らず、ネオン瞬く都心部においては凝視しない限り光量を以て月の満ち欠けを知覚するのは、今や相棒ひと筋の水谷豊氏でもない限り難しかろう。
 それでも見逃して仕舞えば悔やまれようものだから、タイミングよく出会し得たのは矢張り月の御導きか。

 月と聞いて思い浮かぶのはそのままだがレベッカの「Moon」ではないか。
 「Love Is Cash」が「Material Girl」の翻案である以上に一部コード進行を弄れば丸々マドンナの「Papa,don't Preach」を唄えることで有名な楽曲だが、二番のBメロに入るところで「先輩」なる叫びが聴こえるとの怪談擬きの指摘も話題を呼んでいた。
 かの岩崎宏美氏の「万華鏡」同様に空耳の類には違いないが、わが世代においては名高いエピソードであったろう。時は流れ、NOKKO氏の声量とともに「Moon」もまた忘却の彼方に消えつつあり、それを嘆く輩も聞かない。月の欠けるが如くに。

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