コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

5月23日(金) Video killed the Umpire  -スポーツ - プロ野球-

g776.jpg  選手同様に下積みから各階層における激しい生存競争を勝ち抜いて獲得した地位だからこそ権威の高い米リーグ審判が今季から本格的に導入されたビデオ判定を快く了承したとは到底思えないが、そこは何事にも合理的な米国仕様なのだろう。
 しかもわざわざ「チャレンジ」とのネーミングを課してビデオに訴える権利を、恰もバレーボールの作戦タイム宜しく駆け引きの材料としてエンターテインメントに興するのもまた米国的ではないか。
 一方、権威の高さという点では軍配を差し違えたら割腹すべく帯刀する木村庄之助、式守伊之助の大相撲・立行司も劣らないが昭和44年、大鵬の連勝記録を45でストップさせた「世紀の誤審」を契機にビデオ判定が導入されており、そもそも土俵の外には嘗ての検査役、勝負審判員が配され行司には勝敗の最終決定権の無い二重構造だからこそスムースに導入し得たとの見方も出来る。
 翻ってわが国職業野球は漸くホームランに限ってビデオ判定を認めたが、昭和53年日本シリーズ第七戦におけるヤクルト大杉選手のポール際の一打への1時間19分の抗議や平成2年の篠塚選手の疑惑の本塁打など、とくに後者は線審を廃した直後だっただけに話題を喚ぶなど、フェアかファウルかが経験則からも最も紛争を招く蓋然性が高いとの発想は間違っていない。
 とはいえそこには人間たる審判の目を尊重したいという日本的な思惑もまた込められていよう。横綱・白鵬の物言いで同じモンゴル出身の横綱・鶴竜が反則勝ちを拾った一番が取り沙汰されているが、嘗て横綱・千代の富士もまた物言いに及んだ様に、最後は機械に頼っても物言いの有無自体は審判員を含め人間の判断を優先させているのも同様の観点だろう。
 突き詰めればベースに攻守何れが先任か電機的に判断すれば済むとも言えようが、相撲に死に体あらば野球にダブルプレーの際、走者と交錯しないよう野手がボールを受ける直前にベースを離れてもアウトと換算する様に、人智の介在を許すべく領域は残されている。
 「あれがボールか秋の空」の円城寺審判は死の床に就いてなお譫言で「ストライク」と繰返していたと聞く。微妙な判定をも含めた人間のファジーさを尊重させる為にも審判員の覚悟と技量の充実を望みたい。

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