コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月22日(日) 丑の時代  -グルメ - 焼肉-

g741.jpg  振り返れば我々の世代において、すき焼き或いはすき煮であればいざ知らず、幼少期から恒常的に焼肉を食した層は希少ではなかろうか。
 かく言う私も恐らく身近に焼肉に接したのは社会人と化してからであり、そこには焼肉自体の大衆化も作用していようが、野菜に御縁の無い身の上にして天に唾吐くが如き物言いには違いないものの、わが国には古来より肉だけをバクバクと喰い漁る風習は存在しなかったと言ってよい。
 勿論、本邦焼肉店には須く〆の麺類がセットされているが、本来は全く別個の料理であり、両者の混在は海外において寿司と天婦羅を一緒くたに日本料理を名乗る様なものと、ソウルに赴いて初めて理解したのである。
g742.jpg 即ち大方はナムルに包んだりキムチを摘まんだりもしようが、焼肉においてその食すべき対象物の大半が肉そのものであるのは紛うこと無き事実に他ならないし、肉食が延び盛りの胃腸を満たすに相応しいからこそ食べ放題やら安売り焼肉チェーンが膨大したのは、特別永住者の存在もあろうが、一時の韓流ブーム同様の文化戦略の一環とみなせないことも無い。
 ただ妻の外出に伴いわが子と三人近場の焼肉店に赴いてみて実感したのは、ノンベジタリアンの私にして量をこなせなくなっているのである。
 これは社用族として比較的高級上質な肉にあり付いて来た成れの果てなのかも知れないが、ふと見渡せば子供達は肉をおかずに白米を口に運ぶ、如何にもわが国伝統的な食文化を体現しているではないか。
 要は飽きもせず只菅肉ばかりを放り込む私の食生活こそが非日本的であり、幸か不幸か齢相応に胃腸も衰えた今なすべきは、今更精進料理に転向することが端から叶わないのであれば、量を求めることなく金萬に物を言わせて柔らかな肉を少量追及する姿勢を店舗選択の時点から貫くことではなかったか。
 それでもなお牛角に惹かれたりするのは、何れの日にか誰に臆することなく蟒蛇の如く腹を壊すまでバイキングに浸りたいとの欲望同様に、若き日に為し得なかった充足を求める代償行為なのだろうか。或いはそれこそが心持ちばかりの若さの誇示に過ぎないのだろうか。

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